随想集。
まず引用
<<私の日常の意識では、日本語は外在すると同時に自分に内在し、それら二つの実体の無数の積極的な形の交わりが個人生活、家庭生活、社会などを大きく支えている。しかし、詩作の意識では事情が異る。まず、完璧な消極性というか、沈黙が必要なのだ。自分は日本語をすべて潜在させる沈黙の存在となり、外在する日本語の総体は辞書に象徴される解体の果ての沈黙の存在となる。これら二つの沈黙の共鳴のあいだに、母国語であるために友愛的な、あるいはエロチックな最初の火花が散るとき、詩作は開始される。ある意味では、その辞書が詩を隠しており、いま述べた沈黙の共鳴を通じて、詩人がそれを発見する。>>「詩を隠している辞書という世界」より
詩人に、自身の性質としての硬質の詩人と軟質の詩人が分類されるとすれば清岡卓行は後者であるが、その詩文の核、あるいは詩文の発する閃きは清冽な硬質の性質をもつ。そのような彼の詩作論として、この引用は興味深い。彼は自己と語を対等に沈黙な存在として空間に定置し、ひっそりと両者の「共鳴」を待つのである。その鋭い共鳴こそがこの詩人の核である慎み深さと清冽さを両立させる。
引用のような詩作論の他にも、深い洞察のかんじられる随筆などを収めた、大変な好著。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
詩・詩論
- 感想投稿日 : 2009年12月22日
- 読了日 : 2009年12月22日
- 本棚登録日 : 2009年12月22日
みんなの感想をみる