全面金箔張りの金閣と対照的に、銀閣には平凡な和風建築という印象しかなかった。金閣に対抗して銀を張りたかったのがお金が無くて木材のみになってしまったのかと思っていた。
しかしこの作品を読むと銀閣に対する印象やそれを建てた足利義政に対するイメージが変わった。
応仁の乱を描いた多くの作品では足利義政は権力も権威もない上に優柔不断で弟の義視を始め周囲を振り回した人間として描かれる。
この作品でも義政には政治力はない。妻の富子やその兄・日野勝光、細川勝元などの力に頼るしかない。
しかし義政には他の才があった。それは文化を見る力。いわば『審美眼』。
『文化の力で、政治に勝つ』
この決意を貫くべく、表向きは妻や新たな将軍となった息子の陰に隠れ、後に銀閣と呼ばれることになる慈照寺始め一連の建造物の着工を進めていく。
それまで板張りこそが正式、格式の高い部屋であり必要に応じて薄い畳を必要な箇所に敷くのが当たり前だった。しかし義政はより厚い現在の形の畳を敷き詰める部屋に変えた。
広い部屋を屏風などで間仕切りしていたのを、最初から間取りを考えた設計に変えた。
畳敷きの部屋の一角に、現在の床の間に当たる押板床を設えた。
敢えて四畳半の、狭い部屋を作った。
『権力者がふんだんに金と人をもちいて誇示する』『充足の美』に対する、『不足の美』。
これを『侘び(わび)』という言葉で表現した。
つまり現代に続く誰もが想像する和風建築の原点は義政の頭の中にあった。
『同仁斎(東求堂の一室)が平凡なのではない。世の中すべてが同仁斎になったのだ』
『日本中が銀閣の人になった』
足利将軍としては何の爪痕も残せなかった義政だが、今にいたる和風建築、侘び寂びという文化を作ったという意味では大きな足跡を残した。
歴史小説ではあまりクローズアップされてこなかった銀閣だが、この作品で興味が深まった。
ただ時折作家さん目線の文章が入ってくるのが読みづらかった。もう少しドラマ主体で書いて欲しかったなと思う。
特にこの作品では義政の次の将軍・義尚が義政の子ではなく後土御門天皇の子として描かれている。そのために義政と義尚の関係はずっと悪いし、富子と義政との関係も奇妙な駆け引きが続く。この辺りの物語をもっと読みたかった。
芸術を作り出すのではなくいわばプロデュースする義政と、彼の命で総監督を務める庭師の善阿弥始め様々な文化人や職人が集まるものの、度々資金難で建築が頓挫するところなどももう少し深堀りすれば面白かったのにと残念に思う。
造ったその時ではなく、人が住み手入れをし、時の経過と共に姿が変わることも風情となることが発見される場面は良かった。
数々の戦乱戦火を乗り越えて今もこの建物がその場所にあることも、義政の強かな作戦があってのことだった。こういう考えや実行力を政治に活かせなかったのかとも思うが、そこまで求めるのは酷か。
- 感想投稿日 : 2021年4月22日
- 読了日 : 2022年9月28日
- 本棚登録日 : 2021年4月22日
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