新史 太閤記(上) (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1973年5月29日発売)
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感想 : 168
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言うまでもなく、戦国期にジャパニーズドリームを達成した豊臣秀吉を描いた小説である。下層階級の貧窮庶民から日本一の権力者にまで這い上がった例は秀吉をおいて他は知らない。私が好きな戦国武将の一人である。本書は父親の本棚に並んでいたものの、中々読む機会に恵まれていなかったのだが、友人のタナべっちが「処世術を学ぶには最適!」と絶賛していたため実家から拝借したものである。
内容は…、最高に面白い。勿論、脚色された部分もあるのだろうが、秀吉の「人たらし」な面、信長の有能な部下である姿を存分に描いており、ものの考え方も大いに勉強になるものだった。

以下に、印象に残ったフレーズを紹介したい。

・猿(秀吉)は分かり切ったことがあっても、「いかがつかまつりましょう」といちいち信長から知恵を仰いだ。信長はこういう猿が、たまらなく可愛い。
→上司が気難しい信長にはこの方法が一番効くというのを知っているからであろう。上司によっては、自分自身で判断して行動することをよしとする者もいるが、信長はそうではない。部下であっても出過ぎた者が嫌いな信長の場合は、こうした手法が有効なのだろう。上司によって態度・手法を変えるというのはあながち間違いではないということだ。

・諸事、物よろこびの激しい男である。というより、ひとから好意を受けた時、思い切って喜ぶのがこの小男の流儀であった。
→これは私も幼少から実践している。単なるオーバーアクションなのだが。好意を授けた側にとっては、アクションが小さいよりも大きい方が気持ちの良いものだ。もちろん、大袈裟でなく自然に、という条件付きなのだが。

・小僧(秀吉)は落胆した。が、絶望はしない。絶望するには小僧はあまりにも企画力に富みすぎていた。あっという間に次善の策を考えつく能力があって、ついに生涯、失望の暗さを感じたことがない。
→これは見習いたい。絶望しても前に進まない。頭を切り替えて次なる策を考え、希望を持てば良いのだ。

・一貫文を路用に使えば自然になくなるが、物を商うかぎり銭は永久になくならない。
→なるほど、経済・商売の原理というものである。秀吉は針を売り歩いて目的地に向かうのだが、その売り上げにより旅費を賄ったのだ。この点、誰かが雑誌で主張していた「住宅ローンで自宅を購入して自分でそこに住んでしまうより、賃貸アパートを購入して賃借人から家賃をとったほうが儲かる」に通ずるところがある。

・「われら奉公人は、旦那に得をさせるためにある。旦那にはいちずに儲けさせよ。主人に得をさせるのが自分の器量であり、誇りである。わしは奉公人根性はもたぬ。わしは奉公を商うとるのよ」
→まさに従業員・部下の鑑である。近年は労働力の流動化により愛社精神も薄くなった現代の労働者で、会社に得をさせるためにいちずに働く者はどれだけいるだろうか。また、後段は現代に言いかえれば「わしはサラリーマン根性はもたぬ。わしは使われているのではなく、サラリーマンという商売を請け負っているのよ」となるのだろうか。いずれにせよ僻み根性のかけらもない。同じ働くならこうありたいものだ。しかし、この方向性がサービス残業などの労働者搾取に利用されてしまうという面もあるが…。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史小説
感想投稿日 : 2011年3月20日
読了日 : 2010年12月1日
本棚登録日 : 2011年3月12日

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