日本売春史 (新潮選書)

著者 :
  • 新潮社 (2007年9月25日発売)
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本棚登録 : 227
感想 : 18
4

 先日読んだ『日本人のための世界史入門』が面白かったので、小谷野の「歴史もの」の旧著に手を伸ばしてみたしだい。
 本書はわりと下世話な興味で読んでみたのだが、予想したよりもずっとアカデミックで真面目な本だった。

 カバーに書かれた惹句をそのまま引用する。

《「娼婦の起源は巫女」「遊女は聖なる存在だった」「遊廓は日本が誇る文化だった」など、これまでの売春論は、その是非を問わず、飛躍と偽善にみちた幻想の産物ばかりである。また、現代にも存在する売春から目を背け、過去の売春ばかりを過剰に賛美するのはなぜか? 古代から現代までの史料を丁寧に検証、世の妄説を糾し、日本の性の精神史を俯瞰する力作評論。》

 この惹句のとおり、本書のメインテーマは、網野善彦、佐伯順子らによってなされてきた「聖なる遊女」論を論破することにある。
 その本筋部分も面白いのだが、私はむしろ脱線部分――随所にちりばめられた売春史をめぐる広範な雑学――のほうを愉しく読んだ。
 たとえば――。

《森鴎外は、最初の妻を離縁してから十一年間独身だったが、その間に妾を囲っていたし、娼婦はともかく藝妓遊びは一通りしたようだ。ただし夏目漱石は、今のところ、娼婦買いはもちろん、妻以外の女と性関係をもった形跡がなく、それが今日、漱石が国民作家とされる所以でもある。》

 ところで、本書で槍玉にあげられている「聖なる娼婦幻想」は、私自身の中にもある。
 それは、本書にも言及のある(※)『罪と罰』のソーニャ(=清らかな心をもつ娼婦)のイメージの影響かもしれないし、昔読みかじった網野善彦の本の影響かもしれない。

※「ドストエフスキーの『罪と罰』の娼婦ソーニャは聖女ふうに描かれているが、これは下層民に同情を寄せる近代ロマン主義や社会主義、さらにディケンズの影響であろう」という言及。

 が、私自身の精神史を振り返ってみると、もっと俗な小説の影響のほうが大きい気がする。それは昭和の大ベストセラー、五木寛之の『青春の門』だ。

 これは「黒歴史」に属するのかもしれないが、私は中学生くらいのころ、『青春の門』を夢中になって読んだことがある。
 で、薄幸なヒロイン・織江が「夜の蝶」に身をやつしつつも主人公・信介を一途に想いつづける様子とか、重要なキャラクターとして登場するインテリ娼婦カオルの存在に、ガキながらも強い印象を受けたのだ。

 本書には言及がないが、『青春の門』が日本のある世代の「聖なる娼婦」幻想に与えた影響は、かなり大きいと思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 性風俗/AV
感想投稿日 : 2018年10月13日
読了日 : 2014年5月13日
本棚登録日 : 2018年10月13日

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