春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと

著者 :
  • 中央公論新社 (2011年9月8日発売)
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 東日本大震災発生からの、約5ヶ月間にわたる思索を綴ったエッセイ集。
 9編のエッセイを収めている。正味120ページほどの薄い本で、写真のページも多い(鷲尾和彦という人が被災地を撮ったモノクロ写真で、静謐な印象でとてもいい)ので、すぐに読み終わる。

 エッセイの中身は玉石混交。何編かは、3・11後に身近で起きたことを感傷的に書き連ねただけの駄文に終わっている。我が国一級の知識人である池澤ともあろうものが、震災をめぐってこんなことしか考えなかったのか、と嘆息させられる。

 もっとも、あとがきに「書かなければならないことがたくさんあるはずなのに、いざ書き始めてみるとなかなか文章が出てこない」と当時の心境が記されているとおり、言葉のプロさえもが言葉を失い、何を書いたらいいのか途方に暮れるほどの大惨事だった、ということでもあろう。

 それでも、いいエッセイもあり、心に残る一節もある。
 とりわけ素晴らしいのは、「昔、原発というものがあった」という一編。これは、元々は『脱原発社会を創る30人の提言』という本のために書かれたもので、脱原発を目指す立場を旗幟鮮明にした文明論的エッセイ。
 大学で物理学を学んだ“理系の小説家”である著者が、豊富な科学的知見を活かし、脱原発(=再生可能エネルギーへの転換)への道筋を冷静に、かつ詩的に展望している。脱原発を主張する文章にありがちな声高な調子、エキセントリックな印象がないのがいい。

 表題作「春を恨んだりはしない」も、震災で亡くなった人々を作家らしい視点から悼む名文だ。タイトルは、ポーランドの女流詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカ(96年にノーベル文学賞受賞)が、夫を亡くした直後に作った詩「眺めとの別れ」の次の一節から。

《またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を果たしているからといって
春を責めたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと(沼野充義訳/詩集『終わりと始まり』所収)》

 この一節が「震災以来ずっと頭の中で響いている」という著者は、つづいて日本の古歌「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」を引き、最後に文章を次のように結ぶのだ。

《来年の春、我々はまた桜に話し掛けるはずだ、もう春を恨んだりはしないと。今年はもう墨染めの色ではなくいつもの明るい色で咲いてもいいと。》

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 東日本大震災関連
感想投稿日 : 2018年10月26日
読了日 : 2012年5月4日
本棚登録日 : 2018年10月26日

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