下巻読了。
前作『サピエンス全史』よりも一段落ちる印象だが、それでも、「読んだあとには世界が変わって見える」ようなインパクトを持つ書ではある。
前半の「人間至上主義革命」の章はやや退屈。神を至上のものと見做してきた前近代が終わり、20世紀まで人間は神に代わって人間を至上のものと見做してきた、と……。そのとおりだと思うが、そのことをこんなに紙数を費やして説明する必要があったのだろうか?
だが、最後の第3部「ホモ・サピエンスによる制御が不可能になる」に入ると、俄然面白くなる。4章からなるこの第3部こそ、本書の肝だろう。
第3部の内容は、つづめていえば、AIやバイオテクノロジーなどの進歩によって人間は神に近づく(不老不死に近づき、能力を高め、脳の操作で幸福感や快感が自在に味わえるようになり、他の生命をコントロールする力を得るetc.)が、その果てに「人間至上主義」が意味を失い、ホモ・サピエンスが時代の主役から外れる……というもの。
つまり、巷にあふれるAI本のうち、「AIによる雇用破壊」などを憂える悲観的な内容のものに近い。
とはいえ、やはりユヴァル・ノア・ハラリだけあって、凡百のAI本に屋上屋を架すだけの本にはなっていない。驚くべき鋭い視点の考察が随所にあるのだ。
たとえば、「AIは意識を持つことができないから人間を超えられない」とする論者が多いのに対して、著者は〝意識など必要ない。AIは意識を持たないまま人間を超えるのだ〟と言う(第9章「知能と意識の大いなる分離」)。
また、21世紀後半には「民主主義が衰退し、消滅さえするかもしれない」という衝撃的な予測もある。
《データの量と速度が増すとともに、選挙や政党や議会のような従来の制度は廃れるかもしれない。それらが非倫理的だからではなく、データを効率的に処理できないからだ。(中略)今やテクノロジーの革命は政治のプロセスよりも速く進むので、議員も有権者もそれを制御できなくなっている》(216~217ページ)
このように、まさに「世界が変わって見える」ような指摘が随所にある。
私に見落としがなければ、本書に「シンギュラリティ」という語は1ヶ所しか登場しない(226ページ)。
が、この第3部の内容は、過激なシンギュラリティ論者レイ・カーツワイルの主張とかなり重なるものである。
したがって、AIの専門家にも多いシンギュラリティ否定論者(「シンギュラリティなんかこない」という立場)から見れば、大いに眉唾だろう。
私も、最終章「データ教」にはついていけないものを感じた。そこでは、人間至上主義に代わって「データ至上主義」が未来の「宗教」となり、人間が価値を失う危険性が論じられているのだ。
ただ、上下巻とも、再読三読して味わうだけの価値がある書だと思う。
- 感想投稿日 : 2018年10月18日
- 読了日 : 2018年10月16日
- 本棚登録日 : 2018年10月18日
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