日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社 (2019年7月17日発売)
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「日本社会のしくみ」という壮大なテーマに取り組んだ本。結果として、「雇用慣行の歴史に比重を置い」たものとなっているが、それが大きな歴史的視野で史料に基づき丁寧に叙述されており、感嘆と敬意をもって読んだ。「慣習の束」ないし「社会のしくみ」という言葉で表現される主題にどこまで達しているかはともかく、今はそれくらいのスケールでものごとを考えるべき時代状況にあり、著者の問題意識や切実な思いはよくわかる。
団塊ジュニア世代の自分が、特に就職後どのような「しくみ」(雇用慣行)の中で社会人生活を送ってきたか、それはどのような歴史的経緯を経たものか、感覚的に認識していたことに対する解説が示されている。例えば、「大企業型」という生き方の類型が全体構造を規定し、優位でもあることは、感覚的にわかっていたことだが、なぜそうなったかの背景や根拠が示される。もとをたどれば、戦争や軍隊などといった歴史的背景にも行き着く。

日本では大企業が「地頭のよさ」「要領のよさ」「地道に継続して学習する力」といった「ポテンシャル」によって新卒採用を行う。その能力は偏差値の高い大学入試を突破したかどうかで測られる。初めに職務ありきで、専門性が重視され、大学院で専門学位を取得することが高収入につながる他国と日本の違い。
欧米は「職務の平等」を、日本は「社員の平等」を追求した社会。このため、「日本の大企業では、職務の範囲が不明確なので、「人物」や「努力」や「がんばり」などが人事考課の対象になりやすい」。また、「日本の働き方だと、不本意な人事異動や転勤が多くなる。もっともその代わり、職務がなくなっても、簡単に解雇されない」。
日本では、大企業と中小企業の労働市場が分断されることで、生産性の低い中小企業や自営業が生き残り続けることになる。

大企業の雇用慣行が「企業」と「地域」という類型をつくり、日本社会の構造を規定している。広井良典の言う「カイシャ」・「ムラ」という帰属集団を基本的な単位として縦割りになっている。これに対し、例えばドイツは、「職種」を単位として、企業や地域をこえて横割りになっている。また、アメリカでは「ジョブ」という概念があり、早くから「同一労働同一賃金」が目指され、「職務記述書」をもとに契約し、その職務に賃金を支払うという「職務の平等」が形成された。「職務保有権(ジョブ・テニュア)」という概念も、そうした流れの中で根付いた。
「日本と他国の最大の相違は、企業を超えた基準やルールの有無にあるといえる。企業を超えた職務の市場価値、企業を超えて通用する資格や学位、企業を超えた職業組織や産業別組合といったものがない。企業を超えた基準がないから、企業を超えた流動性が生まれず、横断的な労働市場もできない。労働市場があるのは、新卒時と非正規雇用が中心だ。これが、いわゆる「日本型雇用」の特徴だといえるだろう。」
そしてこのような日本型雇用の形成過程を明らかにする努力が、本書を「労作」として印象付けている。

大卒の上級職員、高卒の下級職員、中卒の現場労働者という、学歴による「三層構造」。戦前はそれが法的に決められた身分であり、高等官・判任官・等外(雇・傭人・嘱託)という三層構造をなしていた。日本型雇用の起源をなすこの構造は、職務ではなく組織内の等級で俸給が決まる制度である。明治期の官庁制度は、実質的に学歴と勤続年数によって俸給が決定される、身分制度ともいうべき性格のものである。官庁の「任官補職」(まず官に任ぜられ、そのあと職務が与えられる)原則と、軍隊型の階級制度が、明治期の日本企業に広まり、戦後も職能資格制度として受け継がれてゆく。軍隊や官庁においては他国でも珍しくない制度だが、民間企業にまで影響した点は日本に独特のようだ。
官営八幡製鉄所や三菱合資会社など多数の実例・史料に基づく論理構成、このあたりの実証過程が圧巻。

こうした特徴は日本の近代化のあり方に関わっていた。戦時期の総力戦体制と戦後の民主化を経て、「社員の平等」に道が開かれる。すなわち、「社員」を平等に待遇し、年齢と家族数で賃金が決まる秩序(生活給)が形成されてゆく。また、勤続年数の重視という特徴は、生活給を見直し人事査定で賃金を決めたい経営側と、戦前のように恣意的な査定や学歴による不利な扱いを嫌った労働側の妥協点として浮上する。戦後の年功賃金は、戦前の年功型俸給が目指すべき目標として存在し、敗戦後の労働運動で獲得された生活給が年齢による賃金をもたらし、さらに上述のような妥協を経ることで、勤続年数を能力評価に含めたものとしてできあがった。
その後、雇用慣行を変える提言が早い時期に経済団体から出されていたことも注目に値する。1950年代から60年代前半に、日経連は同一労働同一賃金の職務給を採用し、日本企業の雇用慣行を変えることを提唱、当時の政府もこれを支持する答申を出し、社会保障制度の改革を検討したのである。これが実現していれば、雇用や社会保障や教育のあり方、そして政治の形も変わっていたかもしれないが、しかし日本の経営者や民衆はこうした方向性を受けいれなかった。
戦後もしばらく残っていた三層構造は、高度成長以後の進学率上昇で崩壊に向かう。三層構造崩壊後、職能資格制度が各企業に導入され、日本企業の秩序になる。職能資格制度は、どんな職務に配置されても適応できる潜在能力によって社内の等級を与える制度で、戦前の官庁・軍隊型のシステムの延長であり、企業の人事担当者もそれを自覚していた。
日本経済の成長に勢いのあった時期までは、職能資格制度に支えられた「社員の平等」を現場労働者レベルにまで拡張することができたものの、1973年のオイルショックで終焉を迎える。いったん拡張した「社員の平等」は撤回できず、その後は正社員の範囲に「社員の平等」を限定するという「新たな二重構造」が顕在化していく。それでも1970年代後半はもっとも格差の小さい時期で、日本社会は一種の安定状態を迎える(『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の出版は1979年)。それも一時的状況に過ぎず、増えなくなったパイの奪い合いにシフトしてゆく。1980年代に正社員と非正規雇用の二重構造が注目され始め、1990年代以降「日本型雇用」の改革や成果主義の導入が唱えられながら、基本的な慣行は変わらず、コア部分で日本の雇用慣行が維持されているのは周知のとおりである。

著者によれば、「社員の平等」などの「しくみ」が機能したのは、戦後日本の社会契約というべきものだったから。この社会契約が有効に機能したのは1980年代までで、情報化やグローバル化が進むにつれて、現場労働者の熟練を強みとする日本製造業の優位性は希薄化し、日本の「しくみ」はむしろ不利に働くようになる。国際環境も技術水準も変化する中で、かつての社会契約は、社会を統合する機能を低下させており、新たな合意を形成する必要に迫られている。歴史的な過程を経て築かれた合意であり、慣習の束である「しくみ」を変えるのは容易でない。右手で日本語の文字を書いている人が、明日から左手でヘブライ文字を書いて生活しろといわれてできるだろうか。それは合理性や文化の問題ではなく、歴史的経緯の蓄積で決まるものだ、と著者は言う。
著者は政策提言に慎重だが、どういう改革を行うにしても共通で必要最低限のこととして、透明性の向上がもっとも重要と説く。採用や昇進、人事異動や査定などは、結果だけでなく、基準や過程を明確に公表し、選考過程を少なくとも当人には通知する。透明性や公開性が確保されれば、横断的な労働市場、男女の平等、大学院進学率の向上などは、おのずと改善されやすくなる。
とはいえ、社会を構成する人々の合意がなければ、どんな改革も進まない。スーパーの非正規雇用で働く勤続10年のシングルマザーによる「昨日入ってきた高校生の女の子となんでほとんど同じ時給なのか」という問いに対し、異なる価値観や哲学に基づく三つの回答例が本書の最後で示される。この問いにどう答えるか、社会の一員である読者に投げ掛けて本書は終わる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年1月26日
読了日 : 2020年1月6日
本棚登録日 : 2020年1月26日

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