十六の話 (中公文庫 し 6-51)

著者 :
  • 中央公論新社 (1997年1月18日発売)
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感想 : 28
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 井上 博道の「美の脇役」はぜひ購入したいと思った。
 「山片蟠桃のこと」が目的で購入したのだが、同著に収録された「ある情熱」が素晴らしい。
 山片蟠桃については、コメと金、科学的でありつつ俗信を破壊しながらも名前は「蟠桃」であるというところ、商人の社会は奉公して業を身につけ、やがて自立するにもかかわらず、野望を持たなかったのに合理主義者であったこと。あらゆるところで境界線に立ち続けたこの男は、西部邁がもう少し生きていれば、必ず彼を取り上げて、マージナルマンとしてケインズや兆民や諭吉以上に論じていたことだろうと思われる。
【かれは、コメを根底からカネとして見ることによって仙台藩の財政のむだをのぞいた。つまりコメから”貴穀”という迷信をとりのけた点、蟠桃の思想性が経済に生かされたといっていい。
 まずやったのは、農民の年貢をとりたてたあとの”残米”のぶんにかぎって、藩と農民は商取引の関係になった。】【藩は買い上げた残米(蟠桃はこれを買米と名づけた)を、日本最大の消費地である江戸へまわす(廻米)のである。藩が、米屋になったといっていい。このあたらしい機構のおかげで、以後、江戸市民のたべる米のほとんどは仙台米になった。買米と、それを海陸をへて江戸へはこぶ廻米のためには、仙台と、港の銚子と受け手の江戸に役所を新設せねばならなかった。その役所の設立・維持と人件費は升屋が肩代わりすることにした。その費用として、蟠桃は”サシ”というものを申し出て、ゆるされた。ふつう米俵の検査をするとき、竹ベラで俵を刺して米の品質をみる。サシに、一合ほどの米がのこる。その残った米を升屋がもらうことで、三ヵ所の役所の経費を支出した。もっともこれが意外に大きく、支出をさしひいても年に数千両が升屋のふところに入ったという。藩も、大いにうるおった。農民から買米する場合、蟠桃の考案により、藩は”米札”という紙幣でもって支払った。紙幣の裏付けは、当然現金である。藩は江戸で売った米をもって現金を得る。その現金を、藩は両替商に貸して、利息を得る。その利息は藩にとって莫大なもので、これによって仙台藩は財政のたてなおしをした。つまりは、ゼニ経済になることによって、仙台藩はすっきりした財政をもつことができたのである】

 しかし、この本における、もっとも重要な文章は「ある情熱」これ一本である。文倉平次郎という男の、咸臨丸を追いかけ続ける一生を端的に書いているのだが、司馬は幕末軍艦咸臨丸という彼の著作を大絶賛している。学問ってのはこうだろ? というのを、あこがれを持った筆致で述べている。司馬遼太郎が、こういう男になりたかった……と言っているように感じる。私もしびれた。在野研究が注目される今、この咸臨丸の本は、ぜひとも読んでみたいと思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本史
感想投稿日 : 2019年10月30日
読了日 : 2019年10月30日
本棚登録日 : 2014年9月21日

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