容疑者Xの献身 (文春文庫 ひ 13-7)

著者 :
  • 文藝春秋 (2008年8月5日発売)
4.27
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本棚登録 : 51307
感想 : 3839
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1.著者;東野氏は小説家。「放課後」で江戸川乱歩賞を受賞し、作家デビュー。氏のエッセイによれば小中生の頃、成績はオール3で読書少年でもなかったと。高校入学後に「アルキメデスは手を汚さない」を読み、推理小説に嵌り、松本清張作品を読み漁ったそうです。「容疑者Xの献身」で直木賞と本格ミステリー大賞、「祈りの幕が下りる時」で吉川英治文学賞等、多数受賞。文学賞に15回も落選し、厳しい時代を経験した苦労人だけに、幅広い読者層があるのも頷けます。
2.本書;数学者としての才能はあるが、不遇な生活を送っていた高校教師の石神。隣人の母娘が前夫を殺害した事を知り、完全犯罪を計画。実行したものの、曽ての親友の物理学者、湯川に見破られる。石神が、母(靖子)娘の殺人を隠蔽する為に、別の殺人を犯していたという結末に驚愕。19項の構成。
3.個別感想(印象に残った記述を3点に絞り込み、感想を付記);
(1)『第6項』より、「ある新設の大学で助手を探しているという話を教授が(石神に)教えてくれた。・・その話に乗る事にした。結局それが彼の人生を狂わせる事になった。その大学では研究らしい事は何一つ出来なかった。教授達は権力争いと保身の事しか考えておらず・・。他の大学での再就職を望んだが、希望は叶いそうになかった。・・彼は学生時代に取得していた教員資格を生活の糧とする道を選んだ。同時に、数学者として身を立てる道を諦めた」
●感想⇒これは石神(完全犯罪を計画)が目指す道を諦めた最大のポイントです。世の中には、大学を卒業する事を目的としている人が多いと思います。私も入学前はそう考え、受験勉強に励みました。しかし、入学後は自分なりに学問の意味を考えました。幾つかの講義を聞いて、優れた思想を持った教授に出会い、学問の役割は社会貢献、則ち人間生活に役立つ事だと考えたのです。本書にあるように、優れた学者を育てるよりも権力争いという学校もあるでしょう。それが嫌で、石神は目標を失い、望まぬ生活をしたと思います。しかし、偉人には、刻苦勉励骨身を惜しまぬ努力をした人もいます。ヘレン・ケラーの言葉です。「私達にとって最も恐ろしい敵は不遇ではなく、私達自身の躊躇です。自分でこんな人間だと思っているとそれだけの人間にしかなれません」。私はこの言葉に深い共感を覚えます。
(2)『第15項』より、「僕(湯川)や君が時計から解放される事は不可能だ。お互い、社会という時計の歯車に成り下がっている。歯車がなくなれば時計は狂いだす。どんなに自分一人で勝手に回っていたいと思っても、周りがそれを許さない。その事で同時に安定というものを得ているわけだが、不自由だというのも事実だ。ホームレスの中には、元の生活には戻りたくないと思っている人間も結構いるらしい」
●感想⇒「社会という時計の歯車に成り下がっている」というのは、受け入れ難い言葉です。私は、学生時代には会社の歯車になりたくない、個性を生かせる創造的な仕事をしたいと願っていました。しかし、誰もがそんな都合の良い職に就ける訳ではありません。そこで、考え方を修正しました。何かしら社会に係わり、人に幸せを与えられる仕事で貢献したいと思ったのです。物づくりの企業に入り、自分なりに考えました。“社員にやりがいある仕事をしてもらう⇒会社の安定⇒社会貢献”と考え、業務に取り組みました。結果は分かりませんが、“歯車的生き方”ではなく、“主体的に生きてきた”つもりです。フィクションとは言うものの、自己否定的な人生観は好きになれません。少し熱くなりました。
(3)『第19項』より、「指示(石神→靖子)の最後に、次の文章が付け足してあった。工藤邦明氏(靖子の元職の常連)は誠実で信用できる人物だと思われます。彼と結ばれる事は、貴女(靖子)と美里さん(靖子の娘)が幸せになる確率を高めるでしょう。私の事はすべて忘れて下さい。決して罪悪感など持ってはいけません。貴女が幸せにならなければ、私の行為はすべて無駄になるのですから。読み返してみて、また涙が出た。(靖子)これほど深い愛情に、これまで出会った事がなかった」
●感想⇒愛には様々な形があります。異性愛、親子愛、友情・・、石神はこれまで異性をこれほどまでに愛した経験がなかったのでしょう。“一目見て異性が好きになる”というのは一般的に若い頃に経験するものです。寝ても覚めても彼女を思うという心境は分からなくもありません。しかし、その為に殺人まで犯すのは尋常ではありません。学問にすべてをかけたのに、好まない環境に置かれた事が影響したのか、始めて理想的な女性に出会ったからか、知る由もありません。人を愛するという事は大変貴重な行為と思うものの、法を犯してまで恋焦がれるのは理解できません。当事者のみが抱く感情は他人には永遠に理解出来ないでしょう。そうした熱意を他に向ければ、違う人生もあっただろうに、と思うのです。
4.まとめ;本書はミステリー大賞を受賞しているが、様々な事を内包した作品。石神は靖子に対する無償の愛ゆえに、殺人を犯した母娘を命がけで守ろうとする純粋さ(金の無心の為に母娘に付きまとう男を殺した事には一定の同情をするが・・)、湯川との複雑な友情・・、読み応えが十分です。読み終えて、やっと題名の意味が理解出来ました。『献身とは自己の利益を顧みないで力を尽くす事』。法を犯すのは決して許されない行為だと分かっていても、数学者を目指しながら道を外し殺人者となった、石神の孤独は如何ばかりかと深く心を動かされます。ミステリーの中に人間を描く東野氏の手腕に脱帽。(以上)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年9月21日
読了日 : 2022年1月17日
本棚登録日 : 2022年1月17日

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コメント 5件

村上マシュマロさんのコメント
2022/10/02

こんばんは、ダイちゃんさん。
ダイちゃんさんの感想を何度も拝読させて頂きました。
まとめにあるように私はダイちゃんさんの感想を拝読することにより、私もこの書籍の題名の意味が全てではありませんが理解できました。ダイちゃんさんの感想を読む事により作者東野氏の手腕の凄さを感じとることが出来ました。ありがとうございます。

感想の中で勉強になったり、共感出来るフレーズが幾つかありました。
共感→ヘレン・ケラーの言葉
勉強になった事→ダイちゃんさんの考え方
「学問の役割は社会貢献、即ち人間生活に役立つ事」
「主体的に生きてきたつもりです」
「何かしら社会に係り、人に幸せを与えられる仕事で貢献したいと思ったのです」

私は、自分の今までの生き方や学問・仕事に対する考え方に深く反省しています。ダイちゃんの考え方を参考にさせていただき、これからの人生に少しでも活かしていけたらと思います。ちなみに今の私は自己否定的な人生観は、矛盾しているようですが、大分捨てました。

いつもダイちゃんさんの感想は、気付き等があり勉強になります。ありがとうございます。

最後に私の本棚登録などにいいねをして頂き、改めてありがとうございます。

ダイちゃんさんのコメント
2022/10/02

マシュマロさん今晩は。私のコメントは長いのに、いつもキチンと読んで頂き、感謝しています。人間には悩み事があって、当然だと思います。私も例外ではありません。そんな時には、先輩のアドバイスや書物の言葉を回顧して、自分のスタンスを見直してきました。完璧な人間なんていないし、完璧な人生も無いと思います。自分らしさが大切ではないでしょうか。私は、良い先輩や書物への出会いを大切にしています。説教がましい事を書いて、すみません。今後もよろしくお願いいたします。

村上マシュマロさんのコメント
2022/10/02

こんばんは、ダイちゃんさん。夜分遅くに申し訳ございません。コメントの返信をありがとうございます。ダイちゃんさんのお言葉は、全くお説教がましいとは思いません。かえって有難いくらいのお言葉です。ありがとうございます。こちらこそ今後ともよろしくお願い申し上げます。

koshoujiさんのコメント
2022/10/13

えー、ブクログ様から「YouTubeへの直リンクを張ったコメントは即刻削除せよ!!」との警告メールが届きましたので、前のコメントの指摘された部分を削除して書き直しました。ご了承ください。
現在のブクログの担当者は、この10年間、私がどれほどブクログの普及に貢献してきたか知らないらしいです。
まあ、makopapa77で検索すれば、私の真の姿が半分ほど分かりますが。

初めまして。koshoujiと申します。
亀レスになりますが、私のレビューに対して“いいね”ありがとうございました。
フォローもさせて頂きました。
私は数年前、ひたすらブクログにレビューを書き続ける毎日を送り、300本ほどレビューを書いたのですが、仕事が忙しくなり、最近は殆ど本も読めず、レビューも書いていません。そのうち、また面白いレビューを書くつもりですので、今後ともよろしくお願いいたします。

ダイちゃんさんのコメント
2022/10/14

こちらこそ、よろしくお願いいたします。

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