怪物はささやく

  • あすなろ書房 (2011年11月7日発売)
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感想 : 200
5

こんなにシンプルに、人間の持つ矛盾や二面性を描いた物語は読んだことがない。
主人公は13歳の少年だけれど、何歳だろうと、自分の本心を見ないようにしている人はたくさんいる。
なんでもない、大丈夫、そんなことは思ったこともない。その本心の内容が、反社会的であったり、非人道的と思われそうなことだったり、自分が悪く思われそうなことだったりすればするほど、人は自分の本心を抑えつける。なかったことにしてしまうのだ。
でも、大抵の場合、それは失敗に終わる。なんとはなしににじみ出てしまうのだ。それを他人に察知されてしまって、苦しい状況に陥ってしまう。

コナーが絶対に認めたくないこと。それは自分の中にある身勝手な思い(と自分では思っている)だ。
それを認めてしまうということは、すべてを否定してしまうことだと思うから、彼は必死で目をそらす。
夜毎現れる怪物が語る物語も、すべては同じことを物語っている。
人間の二面性。簡単に善悪で決着がつけられないもの。善でもあり、悪でもあるのが人間なのだ。
魔女である女王は、農民の娘を殺しはしなかった。でも国を支配したいと願っていた。王子は、国を守りたかった。そのために自らの手で愛しい娘を殺したのである。魔女は、していない罪で裁かれるべきだっただろうか。王子はその罪のために国を追われるべきだったのだろうか。
アポセカリーは確かに嫌な人間だった。それでも薬剤師としての腕はあったのだ。司祭はアポセカリーの技術は時代遅れだと思っていた。イチイの木にも触れさせなかった。にも関わらず、自分の娘が死にそうになった時、それまでの信念をあっさり捨ててアポセカリーに頼ろうとした。
コナーは怒ったけれど、私も司祭は身勝手すぎると思った。「誰だってそうするだろ」とコナーは言ったが、司祭は自分の信念を簡単に曲げてしまったのだ。そんな人がこの先司祭として存在していけるだろうか。
第三の物語は物語の体をなしていない。言葉ではなく行動で綴られた物語だからだ。ここでハリーが放つ言葉が凄まじい。
「自分は特別なんだって得意げな顔をして、自分の苦しみは誰にも理解できっこないって顔して、学校を歩きまわってるコナー・オマリー」
「罰を受けたがってるコナー・オマリー」
本人にしたら、絶対認めたくない発言だ。断固否定するであろう言葉だ。それなのに、ぐっさり突き刺さって、そのあまりの痛さで破壊的行動に出てしまう。
暴れたら罰を受けることができる、という気持ちが、無意識のうちにあるのだ。だからそのあとで、「退学処分です」といわれて、どこかホッとするのだ。
しかしこの校長先生は傑物である。本物の教育者だ。ここで彼を放り出すことが何の解決にもならないことを、そしてそんなことをしたら、教育者としての誇りも失ってしまうことをちゃんとわかっているのだ。
コナーは辛い状況にあるし、いじめもある。でもちゃんとした大人が周囲にいる、ということはひとつの救いでもある。今の日本にあるいじめの問題でも、こういう大人が周囲にいたら、もっと違う方向へ進むのではないかと思わずにはいられない。

13歳という年齢の不安定さは、洋の東西を問わないのだな、と思う。
自分の弱さを認めるというのは、いくつになっても難しいし恥ずかしいことだ。
「いじめられている」「親の死を予感して怯えている」などの状況は、もちろん自分自身のつらさもあるが、それを人に知られることのほうがずっと辛いという心情もあるのだ。
いじめに介入して手助けしようとするリリーに対する怒りは、大人から見れば身勝手に見えるけれども、そもそも「助けてもらう」という状況そのものが屈辱的だし、母親の闘病に関しても同情される方が傷つくということもある。特に男の子は。
リリーが友達にしゃべってしまったのは女の子らしいネットワーク作用だったのだろう。でもその根底に潜むかすかな優越感を、コナーは感じてしまったのだ。
同情には優越感が必ず潜んでいる。そのことは案外忘れがちだ。

コナーに対して「つらい気持ちはわかるよ」と皆がいう。そのときの「つらさ」とは「母親が重い病気にかかっていて、もしかしたら死んでしまうかもしれない」というつらさだ。
しかし、当事者たるコナーにはもう一段深いつらさがある。
別れのつらさの予感に耐えかねて、早く終わって欲しいと望んでしまう自分の身勝手さである。だから罰を欲しているのだ。
介護殺人で、「身勝手な理由により」と判決文で言われるのは、まさにこの部分なのだと思った。自分が楽になりたいから殺してしまった、そのことを身勝手というのだ。
コナーはそれができなかった。それを望んでしまう自分が許せなかったのだ。だからあんなに苦しんでいたのだろう。
第四の物語をコナーが語らなくてはならなくなる場面では、息をするのも苦しくなった。コナーのつらさや苦しさが圧倒的に迫ってきて、涙が止まらなくなった。

それでも。どんなに痛くて苦しくても、自分の真実から目を背けてはいけないのだ。目を背けている間は苦しみは続く。真実を語り、ボロボロに傷ついたら、初めてそこから傷は癒えていくのである。

もし私が中学生のときにこの作品に出会ったとしたらどんなふうに感じただろう。
「それでもホントのことなんか言えないよ」と思ったかもしれない。受け止めてくれるだろうと思える相手がいなければ、本当のことなど言えはしないのだ。

最後でおばあちゃんと本音で話すことができてよかった。気が合わないことは認め合った上で、でも共通点を通じてやっていけるかもしれない、と思うあたりは示唆に富んでいる。

複雑な世の中になってくると、単純な勧善懲悪の話や、簡単な二元論がもてはやされるようになる。わかりやすいどんでん返しや、派手な展開で楽しみたいと思うようになる。
でも、現実は善悪が複雑に絡み合っていて、そう簡単に割り切れるものではないのだ。割り切れないとみんなが認めていかないと、真実を表に出すことは難しいだろう。

ところどころで見開きで入る挿し絵が素晴らしい。物語と相まって非常に効果的だった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 新刊
感想投稿日 : 2012年7月22日
読了日 : 2012年7月22日
本棚登録日 : 2012年7月22日

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