漢字百話 (中公新書 500)

著者 :
  • 中央公論新社 (1978年4月25日発売)
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感想 : 18

ものすごく中身の詰まった一冊。
手に取ると、誇張ではなくずしりと重い。
本を開くと、中には活字がみっしり。
しかし、あまりの面白さにぐいぐい引き込まれる。

冒頭から3分の2くらいまでは、漢字の成り立ちが次から次へと立ち現れてくる。
「甲骨文」と「金文」から紐解かれていく成立過程は、まさに白川静の真骨頂。
有無を言わせぬほどの説得力を持って、目の前で繰り広げられる風景には、ただ圧巻という他ない。
この部分に関しては、まずは自分の目で見てみないことには分からないと思う。
目から鱗がぼろぼろ落ちていくのが分かるはず。

そして本書は、「日本語」における「漢字」についての思索に進んでいく。
その結びに書かれているのは、「漢字」から見た「<a href="http://mediamarker.net/u/ikedas/?asin=4480814965" target="_blank">日本語が亡びるとき</a>」。<blockquote> 漢字の伝統は、中国においては字形を正すという正字の学として、わが国においてはその訓義を通じて、漢字を国語化するという国語史の問題として存した。中国が正字を捨て、わが国で字の訓義的使用を多く廃するのは、それぞれの伝統の否定に連なることである。</blockquote>これは、決して懐古主義などではない。
それは、流れるように展開されていく論理によって、しっかりと積み重ねられた成果である。<blockquote> 漢字は訓よみによって国語化され、その意味が把握され、語彙化される。音訓表においては、「おもう」「うたう」「かなしい」などの動詞・形容詞は、思・歌・悲のそれぞれ一字だけに限定されているが、国語の持つニュアンスはもっと多様である。字音としては懐・念・想・憶などの字もあるが、そのように「おもう」ことはできず、また唱・謡の字もあげられているが、音訓表では「唄う」ことも「謡う」こともできないのである。</blockquote>これはつまり、「表現の自由」に他ならない。
日本語とは、音ではなく字によって意味を為す言葉だと思う。
この前提に立てば、ある言葉の表現が一つに制限されるという行為は、自由の侵害に他ならないはず。
これが怖ろしい理由を、白川氏はこう記している。<blockquote> いまの年配の人たちは、総ルビ付きの赤本などで、少年の時から多くの文字を自然に学びえたことを、懐かしく思い出すであろう。いまは、旺盛な吸収力をもつ若者たちが、とざされた言語生活のなかで、知ることを拒否されている。かれらは多くの語彙、ゆたかな表現のなかに、情感の高められる緊張の快さを知らない。もしいまの少年たちに書物ばなれの傾向があるとすれば、その一端は、この抑圧された文字環境にあるのではないかをおそれる。</blockquote>そして、このような抑圧を進めてきた真犯人は、他でもない大手出版社だったりするのだから笑えない。
「表現の自由」を旗印に掲げる彼らが、一方ではこのような罪を重ねてきているのが現実。

そして、もうひとつ興味深い指摘がある。<blockquote> 高等な動物ほど、遊戯本能をもつということである。その道理をもっていえば、字遊びのできる文字ほど高等ということになる。遊ぶことを知らぬ字など、字というに価しないものであるのかもしれない。</blockquote>この指摘は非常に重要な部分を突いているように思う。
「遊ぶ」事が出来るということは、すなわち「余地」が広く取られているという事に他ならない。
さまざまな「遊び」から、いくつもの「進化」が生まれてきているのがこの世だと思う。
そして、「遊び」には、確実に「良い遊び」と「悪い遊び」がある。
「良い遊び」とは際限なく広がっていくような「遊び」であり、「悪い遊び」とはどんどん内側に狭まっていくような「遊び」だと思う。
かつて行われていたような文字遊びは、結果として日本語の柔軟性を高め、表現の幅を爆発的に広げた。
いまでも、若い世代は言葉を弄び、さまざまな形で言葉遊びを行っている。その代表例が、「略語」ではないかと思う。
しかし、その遊び方は「悪い」遊び方なのではないかと感じる。
言葉は縮めることで、単なる「記号」に成り果ててしまう。
そして記号となった言葉は、すでに「生きて」はいないのではないかと感じる。それは、ただの「標本」に過ぎないのではないだろうか。
その根本的な原因が、先に挙げた「表現の自由に対する侵害」にあるのは明白なのではないだろうか。

本書が書かれたのは、昭和53年の4月。
ここで表明された危惧が顧みられることなく、時は進んでしまっている。
いま、この時期だからこそ、改めてこの問題を考えてみなければいけないのではないだろうか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2018年11月13日
読了日 : 2009年7月28日
本棚登録日 : 2018年11月13日

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