『デイジー・ミラー』は、
アメリカ的なものとヨーロッパ的なものとの対比、
ということらしいけれど。
モームの『雨』では堕落した女が保守的な神父を凌駕し、
人間の弱さを表現していた。
一方『デイジー・ミラー』は何なんだろうと。
アメリカ的なものを自由、ヨーロッパ的なものを保守的と呼ぶならば、
『デイジー・ミラー』は異物が排除されて終わる。
単なるデイジーの死で終わるのではないことは、ジョヴァネリの「無垢な人だった」という言葉でわかる。が、
時代が早すぎたということなんだろうか。
人生とはそういうものだと言いたいのか、
あるいは、物語として完結させるために添えられた結末に過ぎないのか。
デイジーは何のために死んだんだろう?
『ねじの回転』は良くわかりませんでした。
解説を読んで、へー、とも思ったのですが、
もう時代的に悪徳の基準が違うから…。
でもこれが『Others』の元ネタだと考えて読むと、
人間と幽霊が逆転してちょっと深みが出るかも。
と一瞬考えたけど、やっぱり語り継がれているからそれは深読みし過ぎなんだと思うんだよなー。
二重に読めるのはわかった。
でも。
という感じ。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
怪奇・ホラー
- 感想投稿日 : 2014年7月22日
- 読了日 : 2014年7月22日
- 本棚登録日 : 2014年7月22日
みんなの感想をみる