<私>の愛国心 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房 (2004年8月6日発売)
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感想 : 11
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この本のタイトルからみて分類がマスメディアというのは適切か、という疑問があるかもしれない。しかしナショナリズムというものが共同幻想にもとづくものだとすれば、その幻想を作りだし媒介しているものとして当然にメディアといいうものの存在が立ち上がってくる。それゆえに分類はマスメディアとさせてもらう。
本文の中では少年事件、石原新太郎発言、憲法といったものらが例示として出される。これらのことについて私たちにはある程度の前知識がある。それはとりもなおさずいわゆるマスメディアがそれらのことをこぞって取り上げたからである。
香山リカはこのことについての批判をする。各事件はかなり早い段階でわかりやすい価値観への読み替えが行なわれて判断される。そのことによって本来あったはずのコンテクストは忘れ去られる。問題背景を探ることなしに伝えられた事件に対しては、好きか嫌いかという二項対立のみに還元されてしまうのである。確かに身近な感覚でものごとを判断してみるということ自体はいいことであろう。
しかしその内容は吟味されなければならないものである。表面をなぞっただけの取り上げ方ではまずいのである。事件を吟味しない傾向を香山は、人々の最後の抵抗である という。
社会の中で色々なことが起こっているが現実の生活、自己の周りには大した影響がないと考える人たち。社会のことは他人のこと、他人事感覚とすることで不安や不満を近づけないようにしている、そうできると信じているというのである。
その結果あらゆる出来事は単純に処理される傾向になる。そこから愛国心というようなものも市民の中に出てくることになる。
本書後半では香山のフィールドである精神科医としての社会分析がなされている。アメリカ、日本の思考パターンを読み解きその対処方を提示する。もちろんそれは医学からの言葉なのでダイレクトにイコールで結ぶことはできないが多くの示唆をしてくれる。
 大きな転換点に立つ私たち、対外的には軍事、内部では精神医療、これらは市民にとって決して他人事ではなく自分たちの問題であるはずなのだ。そのときにどのように考えていくべきかの決定はメディアによる適切な情報提供によってなされる。
 自分がどこへ向かっていくのか、他人事ではなく自分の責任として、そのことを考えさせてくれる一冊です。

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: メディア
感想投稿日 : 2005年3月23日
本棚登録日 : 2005年3月23日

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