- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480061850
感想・レビュー・書評
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第二章
自分以外はみんなバカ
・バカ系の書籍を読むときの大衆の心情は「あいつはバカで自分はバカじゃない」
第五章
自分が傷ついているから、その傷を癒すために相手の傷を癒そうとする行為は意味をなさない。両者は同じ立ち位置に置かれて第三者が監督者として立たなければ解決しない。 -
この本、2回読んだけど、私は彼女の考え方好きだな。
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[ 内容 ]
この数年、“ナショナリズム”をめぐる議論がかまびすしい。
冷戦に代わる国際秩序が定まっていない上に、極東アジアでは「北朝鮮」という冷戦の産物が大きな比重を占めているからである。
しかも、バブルの崩壊とグローバリゼーションに伴う「成果主義」や「市場原理主義」の浸潤によって、セーフティ・ネットが整備されないまま勝ち組・負け組への階層化が進み、社会の安定感は急速に失われつつある。
国内と国外の要因が複雑に絡み合いながら過熱化する一方の言説を丁寧に解きほぐし、「愛国心」の行方について考える。
[ 目次 ]
第1章 「日本は変わった」のか
第2章 自分以外はみんな「バカ」
第3章 この国に生まれたるの不幸
第4章 「帝国」の病理
第5章 二つの「病」と日米関係
第6章 治癒と愛国心
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
じっくり読んで考えてもらうような記事を女性雑誌に載せることはもはや出来ない。
女性として今の日本に生まれた、という現状に疑問を抱くことなく、それを追認する雑誌。そのなかでどう振舞うのが自分に得か、という観点だけから関心の対象を決定する。そして、その対象を少しでも越えるものには、一切興味を示さない。
彼女たちが『女の子らしさ』と思い込んでいるものの中には、文化的・社会的に押し付けられた人工的な『女の子らしさ』が多く含まれている。
大胆にピアスの穴を開けたり、電車の中で平気で化粧をしたりするのは、外の環境を変えられないので自分の極めて私的な世界を限りなく拡張しようとの無意識の欲望から出てくる行為かもしれない。
女性雑誌の読者もいまどきの学生たちも、『身の回りにしか関心が無い』という、ある種の新しいリアリズムに急激に傾きつつある。そしてそのリアリズムは「自分に起きた事を全て認め、その上で自分の特に気になる事だけに関心を持つ」という現状追認にしてあまりにも視野の狭い価値観や生き方、と定義したほうがいい。
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今の日本の状況を精神科医の立場で分析してある。
「まえがき」と「あとがき」を読むと、なぜ彼女が発言を続けるのかがよくわかる。
そうなのかと思える部分が多かった。
作成日時 2006年11月02日 05:47
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愛国心とは何か、それを考えようとしたときに、「読みやすそうだから」という理由だけで手にしてしまった一冊。香山先生は、近年のナショナリズムの高まりを、現代日本人が抱える心の病みからきているのだとおっしゃっているけれど(と私は思ったんやけど)それだけじゃない気が私にはしてる。日本人の内側だけの問題じゃなくて、外側(国際関係問題)からの原因もあると思うのだけれど・・・でも基本的に、すごくなるほど、と思うところもあるし、読みやすくて、心理学的な面も持ち合わせてるので、一つの物事を考えるときには、いろんな面からその原因とかを探れるんやなっって学べました。
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この本のタイトルからみて分類がマスメディアというのは適切か、という疑問があるかもしれない。しかしナショナリズムというものが共同幻想にもとづくものだとすれば、その幻想を作りだし媒介しているものとして当然にメディアといいうものの存在が立ち上がってくる。それゆえに分類はマスメディアとさせてもらう。
本文の中では少年事件、石原新太郎発言、憲法といったものらが例示として出される。これらのことについて私たちにはある程度の前知識がある。それはとりもなおさずいわゆるマスメディアがそれらのことをこぞって取り上げたからである。
香山リカはこのことについての批判をする。各事件はかなり早い段階でわかりやすい価値観への読み替えが行なわれて判断される。そのことによって本来あったはずのコンテクストは忘れ去られる。問題背景を探ることなしに伝えられた事件に対しては、好きか嫌いかという二項対立のみに還元されてしまうのである。確かに身近な感覚でものごとを判断してみるということ自体はいいことであろう。
しかしその内容は吟味されなければならないものである。表面をなぞっただけの取り上げ方ではまずいのである。事件を吟味しない傾向を香山は、人々の最後の抵抗である という。
社会の中で色々なことが起こっているが現実の生活、自己の周りには大した影響がないと考える人たち。社会のことは他人のこと、他人事感覚とすることで不安や不満を近づけないようにしている、そうできると信じているというのである。
その結果あらゆる出来事は単純に処理される傾向になる。そこから愛国心というようなものも市民の中に出てくることになる。
本書後半では香山のフィールドである精神科医としての社会分析がなされている。アメリカ、日本の思考パターンを読み解きその対処方を提示する。もちろんそれは医学からの言葉なのでダイレクトにイコールで結ぶことはできないが多くの示唆をしてくれる。
大きな転換点に立つ私たち、対外的には軍事、内部では精神医療、これらは市民にとって決して他人事ではなく自分たちの問題であるはずなのだ。そのときにどのように考えていくべきかの決定はメディアによる適切な情報提供によってなされる。
自分がどこへ向かっていくのか、他人事ではなく自分の責任として、そのことを考えさせてくれる一冊です。