<私>の愛国心 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房 (2004年8月6日発売)
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◎外の環境は変えられないので、それならばと、自分のきわめて私的な世界を限りなく拡張使用との無意識の欲望から出てくる行為か。-清水真砂子


◎身の回りにしか関心が無いという、ある種の新しいリアリズムに急激にかたむきつつある。


◎自分に起きたことをすべて認め、その上で自分の特になることだけに関心を持つ。という現状追認にしてもあまりにも視野の狭い価値観や生き方、と定義したほうがいい。


◎「非常に狭量にして刹那的な損得主義」
「自分にかかわりのある身近な問題への関心のみにもとづく実用主義」


◎個人としていい人で満ちた国であるアメリカが、国家としての意思、社会総体としての方向性を見せるとき、なぜか偏狭で思いつめたような攻撃性を見せることがあるー寺島実郎
「抑圧的寛容」


◎つまり、自分が圧倒的に優位だと認識するときには相手に対して思いやりに満ちた態度をとることができるが、いったん自分に敵対する存在だとなると、異常なほどの猜疑心や嫉妬心を募らせる。


◎世界の警察官を自任していた頃のアメリカには、まだ「お節介者」なりの良識と自制心があったように思う。でもブッシュ政権にはまったくそれが見られない。「ブッシュ帝国」など強がってはいるが、まるで何かにおびえ、それをごまかすためにイラクを先制攻撃したとしか思えない。
アメリカ社会全体が何かの強迫観念に取り付かれてしまっているのだ。ー矢部武


◎アメリカはもはや「弱い国」に同情もしなければ、「さあ、助けてあげよう」と一方的にお節介な手をさしのべることもしない。ただ、確信に満ちた静かな口調で、「もうほかの国々はアメリカのようになれないのだ、だから、黙って私たちに従いなさい」と最終通告を伝えるのみだ。


◎「支持しない」ではなく、「許してはならない」のがテロであり、それが世界の世論ではないですか。アメリカを同一に論じては気の毒。警棒と棍棒の区別がない。-田久保


◎では、どうすればいいのか。それが「リミットセッティング」だ。
基本的には「たいがいのことでは相手を見捨てない」という基本的な愛情は必要だ。ただ、際限の無い受容、慈悲、共感などは問題を解決しない。そこで必要になるのは、「もうこれ以上はできない」「これ以上やってもらっては困る」と現実にできることのリミットを、具体的に示すこと。


◎境界例の人たちは、自分ではそう意図していなくても、他社を操作する「天才」なのだ。だから重要なのは、その操作には乗らずに、「あなたのことが嫌いなわけではない。でも、これ以上は私にはできないのです。」と一貫した姿勢をみせること。


◎今のアメリカの力はあまりに強く、これほどの「病める巨人」を治療できる精神科医は、残念ながらこの世にはいない。そのアメリカと付き合うためには、とにかくこちらがリミットセッティングすること。そうしなければ、早晩、相手の二分化に巻き込まれ、廃人のようになってしまう。


◎しかし、リミットセッティングはあくまで日本社会がある程度健康な場合の話。


◎「病める者は、さらに病める者と関わってあわよくば相手を立ち直らせることで、自分が救われることを願う」という「法則」がある。
それにのっとれば、日本はアメリカとの関係を維持することに過剰に熱心になり、対等さを強調し、さらには「アメリカに忠告できるのは日本だけ」などといった幻想に耽るjことで、自分たちの失われた自己肯定感や傷ついた自己愛が修復されることを、どこかで期待している。


◎さらには、「日本にとってアメリカが特別な国であることは、言うまでもない」という常套句も、もう一度、その真偽を検証してみる必要がある。


◎さまざまな分野でも頻繁にやり取りするをする「取引先」であることは事実だろうが、それが即「とにかく特別」となるのかどうか、とくにリアリズムの立場に立つ人たちは、その特別さの論拠を示す必要があるだろう。


◎アメリカにたいして、その病理は強迫神経症だとはっきり診断を下した岸田秀。


◎アメリカがさらに強く無意識へと抑圧しているインディアン・コンプレックスを意識化し、分析し、克服し、そして日本に謝罪し、日本が内的自己と外的自己との分裂を克服し、アメリカに謝罪したとき、相互理解に基づいた、真の意味での友好的な日米関係が始まるー岸田

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 軍事・歴史
感想投稿日 : 2011年1月6日
読了日 : 2011年1月6日
本棚登録日 : 2011年1月6日

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