ユーゴスラビアの作家の短編集。母がユーゴスラビア系民族、父はユダヤ人でアウシュビッツから帰ってこなかった。
短編全部が寓話的、哲学思想的。実際の人物やエピソードから哲学的思考を加えたり、実際には無い書物をあるもとして話を巡らせたり。
ナザレ人イエスの死と不思議な甦りから十七年の後。
村から村へ巡る伝道者たち、大道芸人たち。
魔術師シモンは、イエスの奇跡を伝える伝道者ヨハネやパウロたちの前で「それはこのような、誰でもできる奇跡か」と、天に昇ってみせる。ペテロが神の言葉を唱えると魔術師シモンは失墜する。そしてまた別の話もある。
魔術師シモンの弟子の女は叫ぶ。「これもあの人の教えの真実の証なのさ。人の人生は転落と地獄、この世は暴君の手の内にある。暴君の中の暴君、ヒエロムに呪いあれ!」
/「魔術師シモン」
==新約聖書のエピソードより。
あんなに惜しまれて死んだ娼婦はいないぜ。
船員であり革命家であったウクライナ人のバンドゥラは、肺炎で死んだ娼婦マリエッタの思い出を語る。
彼女の墓に備えられた花。
そしてその日に民衆蜂起の地方革命が起こっていた。
/「死後の栄誉」
私は図書館でその本を見つけました、有名な「死者の百科事典」を。そこには死んだ人の人生が記されています。私は、亡くなった父の一冊を探してページを開きました。そこには父の全てがありました。
全てです。村を出た日に咲いていた花、母と出会った日の風、夕日の色、歩いた道、出会った人…
「人間の生命は繰り返すことができない。あらゆる出来事は一度限りである」(P73)
/「死者の百科事典」
仰向けに横たわっていた、ザラザラして湿った駱駝の皮の上に。
三人と一匹の死者のうち、一番若いディオニシウスは一番先に見を覚ました。昔見た群衆は、ナザレ人イエスを讃える歌と、皇帝からの迫害は、ああ、あれも夢だったのか。
/「眠れる者たちの伝説」
==キリスト教を信仰したために皇帝から迫害を受け、洞窟に逃げ込み、約二百年眠った”エフィソスの七人の眠れる者”というコーラン由来の伝説を下敷きにしているということ。
市場でジプシーから買った鏡。ベルタが鏡を覗くと、父と二人の姉が暴漢に襲われる場面が写される…。
/「未来を写す鏡」
==新聞三面記事のような話だが、実際に起きたことと信じる人たちはいるようだ。
師匠の書を虚栄心により追い越そうとする弟子。
/「師匠と弟子の話」
民衆蜂起に味方したとして死刑宣告を受けた貴族の青年。
青年の母は息子に告げる。あなたはこのような死に方はしない、私が皇帝に話をして、うまく行ったらあなたに合図を送ります。
自分が不名誉には死なないと分かった青年は、恐れを持たずに絞首台に登る。
彼が最期まで持った立派な態度は、自分が死なないと思い怖れなかったのだろうか?または死ぬと分かっていても恥じることなく死ねたのだろうか?
/「祖国のために死ぬことは栄誉」
架空の書物を題材にし、それが時代を越えてヨーロッパの歴史を変えた話。
/「王と愚者の書」
先生はイデッシュ作家のメンデル・オシポビッチの往復書簡を探していらっしゃいますね。先生のおっしゃるとおりに、確かにそれは存在します。
いまでは孤独のうちに生きているこの私ですが、かつて数多くの手紙をしたためたことがありました。そしてその手紙のほとんどは、たった一人の人に宛てられたものでした―メンデル・オシポビッチに。
/「赤いレーニン切手」
作者による、収録作品の解説。
「本書に収められていた話はいずれも、多かれ少なかれ形而上的と呼ぶべきひとつのテーマを扱っている」
ここに書かれていることは、その一部を実際に起きたことをであったり、実在の人物だということで、元ネタ解説など。
/「ポスト・スクリプトゥム」
- 感想投稿日 : 2019年11月22日
- 読了日 : 2019年11月22日
- 本棚登録日 : 2019年11月22日
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