あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

  • 早川書房 (2003年9月30日発売)
3.94
  • (393)
  • (327)
  • (312)
  • (45)
  • (19)
本棚登録 : 4677
感想 : 400
5

 テッド・チャンが凄いとか、「あなたの人生の物語」が名作だとか、そういうSFファンのなんと多いことか。でもチコちゃんは知っています。……あ、違った。
 そういう世評は知ってはいたけれど、なかなか読む気にならなかったのは、テッド・チャンを読むならまずこの長編をというその長編がそもそもないからである。長編を、しかも分厚いやつを書かないと一流SF作家とみなされない英米SF界において、短編だけでこれだけ鳴らしているのは凄いことなのではあるのだが。
 で、結局、読む気になったのはドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画『メッセージ』がよかったことと、そのせいで本屋に並ぶ短編集『あなたの人生の物語』が『メッセージ』のばかうけ型宇宙船の映画写真のカバーにことごとく変わってしまったからである。オリジナル・カバーの本書を見つけて、つい買ってしまったのだ。

 ついに空の丸天井にたどり着いたバベルの塔で、さらにその丸天井を掘り進む「バビロンの塔」はオチが読めてしまったが、ブリューゲルの『バベルの塔』を見てきた記憶がまだ色褪せぬなか、小説の場面は頭のなかでブリューゲルのタッチに変換されていた。
 アルジャーノンの異版のようにはじまり、最後は超能力者対決みたいになる「理解」。これは映画化したら面白そうだ。監督はクローネンバーグ。
 1が他のすべての数と等しいと証明してしまった数学者と、他のすべての人に感情移入できるその夫という夫婦の破綻を描く「ゼロで割る」。理系と文系のわかりあえなさ?

 「あなたの人生の物語」は必然的に映画『メッセージ』と対照しながら読むことになる。映画の原題は「到来 Arrival」であり、7本足の異星人ヘプタポッドは地球に到来はするがメッセージを送るわけではないので、ありがちなことだが、映画の邦題というのは業界のセンスの悪さを示している。話の大筋は踏襲してはいるが、映画はやはり映画的なスペクタクルを追及していることがわかる。原作では異星人との接触は双方向通信装置を介してだが、映画では実際の宇宙船に乗り込んでガラス越しにヘプタポッドと対峙する、などなど。しかし最大の違いは映画が異星人とのファースト・コンタクトに重きがおかれているのに、原作のほうはあくまで「あなたの人生の物語」なのである。語り手ルイーズの娘である「あなた」、25歳で事故死してしまう「あなた」の物語。異星人とのファースト・コンタクトは「あなたの人生の物語」にかかわる挿話でしかない。
 そしてヘプタポッドがやってきた理由を映画では説明してしまうが原作ではわからないままである。それでいいのだ、挿話に過ぎないのだから。

 「七十二文字」は無生物に名辞を書き込むことで動かすゴーレム的世界観と、生物の胚にホムンクルスがいるという前成説の世界観の融合。生命の謎に挑んでいく名辞師の物語。遺伝情報も一種の言語であると考えれば、現実世界のアナロジーのようでもある。
 「人類科学の進化」は「ネイチャー」に掲載されたという、科学論文のパスティーシュ。
 「地獄とは神の不在なり」では、神が物理的に実在する。というか、天使がときどき降臨する。天使が降臨するとその物理的ショックで死ぬ人が現れるとともに、奇跡によって、病気が治る人が現れる、という世界が描かれる。ときどき地面を透かして地獄が見えてきて、人々は地獄に堕ちた人の様子を観察することができるが、そこでは現世とあまりかわらない生活をしている。ただそこには神がいないだけである。これは徹底したリアリズムで信仰の馬鹿馬鹿しさを描いた物語かと思ったが、あとがきをみると理不尽さという信仰の本質を真面目にえぐろうという意図のようだ。
 「顔の美醜について──ドキュメンタリー」は、顔の美醜を認知する脳領域を可逆的に機能不全にする技術が生み出された世界で、この処置を全学生が受けるべきという運動が起きた大学の話を、人々の証言で綴る。「人間は顔じゃない、中身だ」という題目を、ポリティカル・コレクトネスとして実現すべきか、それは行きすぎとみるのか。多様な意見が投げ出される。途中、宗教学者が内面こそ大事というヘブライズムと肉体の美を称揚するヘレニズムと指摘するあたりが面白かった。

 でも、テッドちゃんは知っています。短編こそがSFの精華だと。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: サイエンス・フィクション
感想投稿日 : 2018年12月5日
読了日 : 2018年12月5日
本棚登録日 : 2018年10月25日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする