抱擁、あるいはライスには塩を

著者 :
  • 集英社 (2010年11月5日発売)
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年末の図書館で目について久しぶりに江國香織を読んだ。
調べたら『思いわずらうことなく愉しく生きよ』以来だった。
大きな洋館に住む風変わりな一族、柳島家の3世代に渡る家族の歴史を綴る物語。
語り手は子ども世代(4兄弟)、親世代(3兄弟)、祖父世代(夫婦)の、本人とその友人や恋人の視点になり、時代も飛び飛びで、それぞれが抱える気持ちや事情、秘密などが描かれる。
”風変わり”とはたとえば大学まで学校に行かずに家で教育を受けるということ。それ以外にも「えぇ?」っとびっくりするような展開が多数なのだけど、後からツジツマが合っていくというか。。人の気持ちにツジツマなんてないのだけれど。こういう環境だからこういう過去があるからこういう人になったんだ、とつまびらかになる展開が愉しかったです。
お金持ちでもしかしたら幸福に見えるのかもしれない一族だけど、それぞれはやっぱり孤独で寂しいような気持ちになる。


主人公はいないのだけれど、自分の中では一応柳島家の永遠の子どもである陸子が主人公で、陸子が語る柳島家が一番すきだった。
そして、桐叔父、豊さん、光一などの男性陣が何を考えているのかわからなかったのだよ。光一が選んだ涼子ちゃんが好きになれないわたしは、きっと百合ちゃんみたいな頑固で内にこもった性格なのだ。叔母バカだし。

ちなみに、タイトルの「抱擁、あるいはライスには塩を」というのは、物語の中で片方が「あわれなニジンスキー」と言えば片方は「かわいそうなアレクセイエフ」とこたえる、という柳島家の呼応と同じで、家族にしかわからない合言葉、空気感、慣習のようなもののことでした。
祖父の死により柳島家の日常は姿を変えはじめ、祖母の死により彼らの風変わりな生活は終焉に向かい、昭和の終わりを感じます。

自分語りをすると、正月に田舎から段ボールいっぱいにもちが送られて来ていました。黒豆の入った豆もちはみんなの大好物でした。祖父の老衰により、もちの数は減り、祖父が死んでおもちが送られることがなくなりました。今年のお正月、母からおもちを食べるか聞かれた兄が「豆もち」とこたえたら、「豆もちは、もうないのよ」と言われていたことをどこかで思い出しました。あの豆もちをもう二度と食べられないのだろうか。兄も母も心の中で思ったと思います。いまはスーパーで買った切りもちを食べています。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 江國香織
感想投稿日 : 2014年1月21日
読了日 : 2014年1月21日
本棚登録日 : 2014年1月21日

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