久しぶりに読んだトルストイ。
今読むと結構押し付けがましい。例外排除的な古臭いキリスト教だこれは。より繊細なフェーズにうつったのだろう。でも時々はいいのがある。
科学および芸術が人類に寄与したのは、その教師たちが、それによって自分の労力をはぶいたからではなくて、彼らのうちの天才と呼ばれる人間が発明の権利を利用しないで、人類の進歩を助けたからである。
人々はとかく博識であればあるほどよいと考えがち。しかしこれは間違っている。重要なのは多くを知ることではない。知ることのできるあらゆることのうち、最も必要なことを知ること。くだらないことばかり頭に詰め込めば、かえって本当に必要なことを知る大きな妨げになる。
知恵の世界で空腹を感じたとき、つまりどうしても知らなければならないと感じたときだけ(その知識が魂にとって必要なときだけ)これを摂取しなければならない。
学問を王冠のように誇示したり、生計の糧としてはならない。
真の学問には明白な二つの特徴
ー内的なもの:学者は自分の利得のことは念頭に置かず自分を犠牲にしてその使命を遂行すること
ー外的:学者の書いたものが全ての人々に理解できる
学者とはありとあらゆる書物から非常に多くの知識を吸収したもののことである。文化人とは現在世間の人々の間で流行していることを全て知っている人。教養人とは自分は何のために生きているか、自分は何をしなければならないかを心得ているもののことである。教養人になるべき。
本に書いてあることをそのまま信じるならば人は馬鹿になるhpかないので読まなくていい。
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- 感想投稿日 : 2016年1月7日
- 読了日 : 2016年1月7日
- 本棚登録日 : 2016年1月7日
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