異邦人 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1963年7月2日発売)
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内省的なつぶやきのような短文で、情景や感情を滔々と綴る。そして、凡庸な人生が、ひとつの自分の行為を機に一変する。キリスト教的道徳、法廷、制度、社会への責務、それら近代啓蒙主義的な"真理"が、行為を帰責させる唯一のものとして突如立ち現れ、「この私」抜きに、機械的に淡々と「私」の生を決める。社会的人間を演じられなければ、異邦人として扱われるのだ。神を信じず、性欲、太陽、海などの経験的な感覚を重視し、そしてそれのみが「この私」の生である、そのような価値観をもった主人公ムルソー(Meursault:meurs死・soleil太陽を連想させる)は、当時の若者の姿を反映しているという。
フランスの内部にある外部である固有名なきアラブ人(異邦人)は、はじめ全く不可解で不気味な敵対する世界として描かれているものの、人間的な側面も見出される。感情を表に出さず理解されないムルソーは、アラブ人と心を通わすことはないが、状況的に次第に同化(異邦人化)してゆく。つまり、ムルソーが制度によって"フランス人民"の共同体から弾かれたように、彼らも機械的に外部として扱われている。
近代的理性の秩序から狂人のように逃れる道があるか。いや、「この世界」を受け入れ承認するしかない。それがムルソーの答えだった。死刑を前にして神父にぶち撒ける、実存の憤怒の長台詞のために本書はある。
近代的理性への批判は、同時代に肩を並べたサルトル(のちに批判を受け孤立するが)の人文主義や実存主義を越えて、同じく社会的構造や制度を批判したポストモダニズムの領域にすでに踏み込んでいる。それは、他者、狂気、外部を内部保存のために分たず、「この世界」として受け入れること。内外を分けたうえで包括するのではなく、内外を分けることそのものを拒否する。ムルソーが否定する神や制度は、内外を区別し、共同体を保存させるためにある。そしてそこには「この私」はない。この意味において、一般化された特殊としての個人ではなく、「この世界」における単独の「この私」として生きることこそが、生を生きることである。
カミュは、哲学教授ジャングルニエを文学に開眼させた恩師としてもち、また哲学士(卒論は「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」)を受けており、哲学教師を任命されたこともある(単調な生活を恐れ辞退したが)。ファシズム化する危機の時代を生きた思想的な背景が、人間理性への懐疑を必然的にしたといえる。
以下は、印象的だった文章の引用。
"誰だって生活を変えるなんてことは決してありえないし、どんな場合だって、生活というものは似たりよったりだし、ここでの自分の生活は少しも不愉快なことはない"
"学生だった頃は、そうした野心も大いに抱いたものだが、学業を放棄せねばならなくなったとき、そうしたものは、いっさい、実際無意味だということを、じきに悟ったのだ。"
"判事は私をさえぎり、重ねて私をうながし、すっかり立ち上がって、私が神を信ずるか、と尋ねた。私は信じないと答えた。彼は憤然として腰をおろした。彼は、そんなことはありえない、といい、ひとは誰でも神を信じている、神に顔をそむけている人間ですらも、やはり信じているのだ、といった。"
"「私の生を無意味にしたいというのですか?」と彼は大声をあげた。思うに、それは私とは何の関係もないことだし、そのことを彼にいってやった。"
"眠りの時間、思い出、記事を読むこと、光と闇との交替──こうしたことのうちに、時は過ぎた。牢獄にいると時の観念を失ってしまう、ということを確かに読んだことがあったが、これは私には大した意味を持たなかった。どうして、日々が長くて同時に短くなるのか、私にはわかっていなかった。"
"生きてゆくには長いものだが、ひどくふくれあがっているので、日々は互いにあふれ出してしまうのだ。日々は名前をなくしていた。私に対して意味を持っているのは、昨日とか明日とかいう言葉だけだった。"
"セレストは、私の方を振り返った。その眼はきらきら輝き、その唇は震えているように見えた。これ以上何か自分にできることはないか、そう私に問いかける様子だった。私はといえば、一言もいわず、何の仕ぐさもしなかったが、このとき生まれてはじめて、一人の男を抱きしめたい、と思った。"
(誤植p93真実何かを→事実何かを)
"被告席の腰掛の上でさえも、自分についての話を聞くのは、やっぱり興味深いものだ。検事と私の弁護士の弁論の間、大いに私について語られた、恐らく私の犯罪よりも、私自身について語られた、ということができる。それにしても、両者の言い分はそんなに違うものだったろうか?"
"私としては、それは私をまたしても事件からとり除け、私をゼロと化し、ある意味で、彼が私の身替わりになっているのだ"
"大切なものは、希望の一切の機会を与えるところの、逃亡の可能性であり、無慈悲な儀式の外へ飛び出すこと、狂人のように疾走することだった。"
"私は自信をもっている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来たるべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない。しかし、少なくとも、この真理が私を捕らえていると同じだけ、私はこの真理をしっかり捕らえている。"
"私はこのように生きたが、また別なふうにも生きられるだろう。私はこれをして、あれをしなかった。こんなことはしなかったが、別なことはした。"
"私の未来の底から、まだやって来ない年月を通じて、一つの暗い息吹が私の方へと立ち上ってくる。"

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2024年1月27日
読了日 : 2024年1月27日
本棚登録日 : 2020年12月17日

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