<要旨>
目が見えない人に対して我々は「ネガティブ」なイメージを持ちやすいが、目の見えない人を「三本足で立つ椅子」とするなら、目の見える人は「四本足で立つ椅子」である。その差異は「欠如」ではなく、「ただの差異」である。だが、健常者の知覚情報の8~9割は視覚情報であるため、「目の見えない人」は「目の見える人」の補色のような発達をしているのではないかとの仮説に基づき、著者は様々な観点から両者の差異を現象学的につづっている。例えば、大岡山駅から大学のキャンバスで向かう際にお椀側の地形の頂上からふもとへと下る格好となる。しかし、「見える人」は視覚により平面的な情報を与えられるためにそれに支配されて、空間的に地形を捉えない。だが、「見えない人」は視覚から平面的な情報を入手できないために地形を立体的に捉えることができる。つまり、空間認識能力は、「目の見えない人」のほうが優れているとも言える。
<レビュー>
目が見えない人に対して我々は「ネガティブ」なイメージを持ちやすい。それゆえに「障害者」という言葉に過剰に反応してそのような表現をやめた方がよいという論調が存在するのだろう。しかし、それは、きっと傷ついた人がその傷に触れられることに対して他人の痛みも自分の痛みのように錯覚して感じる「過剰な防御反応」と言える。だが、その根底には「目が見えない人」は「目が見える人」から「視覚」を引き算した存在であるという認識もある。本著はそのネガティブな意識を痛烈に切り裂いてくれる。目の見える人は「四本足で立つ椅子」であり、目の見えない人は「三本足で立つ椅子」だと。だから、それぞれ別々に発達した機能がある。それだけだろう。それがとても痛快である。
- 感想投稿日 : 2022年10月8日
- 読了日 : 2022年10月8日
- 本棚登録日 : 2022年10月8日
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