太平洋の防波堤 (河出文庫 テ 1-3)

  • 河出書房新社 (1992年5月1日発売)
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感想 : 3
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デュラスの出発点だつたのかもしれない。改めて読み直すと、彼女がこれを書くのに、並々ならぬ時間がかかつたのだと感じられる。自分自身との対話、過ぎ去つた時への憤りに限り無い郷愁。これがひとに讀まれることは彼女にとつて『愛人』での告白以上に堪へ難いものではなかつたのか。それほどに、この作品には彼女の生きた感覚が息づいてしまつてゐる。
何かになるといふこと、このどうしようもない、哀しさ。何にもなりたくなどない。けれど生活はさういふ自分の思惑とは別の思惑で流れてゆく。他人の存在はどうしたつてこの自分を染めてしまふ。けれど、他人の不在を願ふといふことは、自分の不在を願ふことと同じなのだ。この自分が存在してしまつたことそのものが、何かにならざるを得ないのだ。存在することの喜びであると同時に、それはどうしようもない、哀しみだ。
太平洋の濕つた土壌の片隅で、彼女とその兄はどこまでも乾いてゐた。愛があるのなら、どんなに汚れてゐてもいい。安らげるなら、偽りだつていい。ただ、それは、ムッシュー・ジョウやカルメンのやうなひととは断じて分かちあへないものだ。そんなもの、探したつてみつからないのは、もう知つてゐる。けれど、求めずにはゐられない何かなのだ。身体を曝け出すのは、愛に安らぎに委ねてしまひたい、そんな渇きを癒やしたいためなのだ。
時は落ち着く暇を与へることなく進み、母の死も、バンガローを去るその日も、至極あつさりと終る。兄がしばらく蒸発したその瞬間から、もう、その終りはみえてしまつてゐたのだ。自分と同じであると、自分の一番誰よりも身近な人間が、何かになつてしまつたその時から、もう、この自分が何かにならざるを得ないと知つてしまつたのだ。兄が何かになれたからこそ、彼女もまたバンガローを出て行くことができたのだ。兄の変化をみて、どれだけ自分の存在を突き付けられたか。母が毆ることや発狂など、物の数などではない。自分もそのやうな変化の中に置かれてしまつたことを否応なしに自覚してしまつた。
きつと時間が経つて振り返れば、母のこと、バンガローのこと、このインドシナでのこと、容赦ない痛みとなつてシュザンヌを襲うことだらう。でもまだ今はその時期ではない。痛みを引き受けられるのは、痛みを引き受けられる人間になつてからだから。彼女は、その人間になることを選んだ。さうやつて生み出されていつたのが、この後に続く作品たちだと思つてゐる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 物語
感想投稿日 : 2017年10月10日
読了日 : 2017年10月10日
本棚登録日 : 2017年10月10日

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