新装版 世に棲む日日 (2) (文春文庫) (文春文庫 し 1-106)

著者 :
  • 文藝春秋 (2003年3月10日発売)
3.93
  • (332)
  • (392)
  • (367)
  • (17)
  • (2)
本棚登録 : 3132
感想 : 209
5

【感想】
幕末の錯乱した時代の流れを「長州視点」で見つめた物語。
吉田松蔭が死刑にあい、高杉晋作にバトンタッチ。
高杉晋作の幼少期から紡がれて行く本編は、この男がどういう人間なのかを非常に面白おかしく描かれている。

彼の天真爛漫っぷりは家系によるものなのだと納得。
そのくせ、藩主に対する忠誠心のみはしっかりと刻み込まれていたのだなぁ。

また、上海留学のエピソードも初めて読んだが、彼の攘夷運動の礎はこうしたところでも培われていたのかと納得。
高杉晋作の小説ではやはりこの本が1番面白い!!


【あらすじ】
狂気じみた、凄まじいまでの尊王攘夷運動。
幕末、長州藩は突如、倒幕へと暴走した。
その原点に立つ吉田松陰と弟子高杉晋作を中心に、変革期の人物群を鮮やかに描き出す長篇。

海外渡航を試みるという、大禁を犯した吉田松陰は郷里の萩郊外、松本村に蟄居させられる。
そして安政ノ大獄で、死罪に処せられるまでの、わずか三年たらずの間、粗末な小屋の塾で、高杉晋作らを相手に、松陰が細々とまき続けた小さな種は、やがて狂気じみた、すさまじいまでの勤王攘夷運動に成長し、時勢を沸騰させてゆく。


【内容まとめ】
1.吉田松蔭は安政の大獄によって死罪に処せられた。
2.2巻から主に高杉晋作が主人公。やや天狗で、誇り高く、ただ柔軟な考え方やものの見方ができる人間。
3.上海留学は国事として行なった。そこで初めて外国を見て、日本の現状や将来のあり方について道が拓けて来た。
4.坂本竜馬の「船中八策」は長井雅楽の「航海遠略策」ととても似ている。正論だが、話を展開する時勢を見誤ったかどうかの問題。


【引用】
p64~
高杉晋作
長州藩中堅クラスの上士の家庭に一人っ子で育つ。
甘やかされる事が多く、大人の威厳や恐ろしさを知らずに育つ。
たこを踏み潰された同格の武士に土下座をさせたエピソードは、彼の中で「大人はこの程度か」と意気地の無さを肚の中で嘲笑う事につながった。
(後に父がこの武士に謝りに駆けつけたが、戻っても当の晋作自身をさほど叱らなかった)


p71~
久坂玄瑞
高杉晋作は、久坂玄瑞に対して競争心を持っていた。
幼少の頃から一つ下の久坂玄瑞には敵わないものを感じてきていた。
兄の急死などにより、元服後すぐに家業である藩医を受け継いだが、医者というものが面白くないと思っていた。

「兄が医者であったのは、それは仮の姿だ。志は天下を救うにあった。」


p78
晋作は、何事かを求めている。
その何事かというのがどういう内容のものかは自分でも分からなかったが、わずかに分かったことは、学問や学校というものが、自分の精神を戦慄高揚せしるものではないということであった。


p85
松蔭は、どうも快活すぎる。
これは天性のもので、彼の思想でも主義でもなく生まれつき。
どういう環境に落ち込んでしまっても、早速そこを自分の最も棲みやすい環境にしてしまう。


p107
高杉晋作は18歳で松下村塾に入門し、その後10年の動きが彼の存在を歴史に刻みつけた。
この若者は、若者のまま、28歳で死ぬ。

「おもしろき こともなき世を おもしろく」
上の句ができたが、下の句は息が切れて続かない。
しかし下の句など、晋作の生涯にとって不要に違いない。
歌人が「すみなすものは 心なりけり」と下の句をつけた。


p223
晋作の生い立ちには苦労というものがまったくなく、逆に甘やかされて育ち、その甘やかされたままの環境と資質を藩が大きく受け入れ、しかもゆくゆくは藩の職制のなかに彼を組み入れようとしている。


p258
・長州藩 長井雅楽(うた)「航海遠略策」
日本はこの機会に開国し、積極的勇気を持って攻勢に出、艦船を増やし、五大州に航海し、貿易し、それによって五大州をして日本の威に服さしめ、カツイをして貢ぎ物を日本に持って来ねば相赦さぬというところまでの大方針を日本としては只今決めるべきである。

幕府も大いにこれを喜び、朝廷も感じ入り、孝明天皇も「はじめて迷雲が晴れた思いがする」とまで言った。

しかし、長井雅楽は打ち出す時期を誤った。
坂本龍馬もこの長井雅楽が打ち出した「航海遠略策」とほぼ変わらない意見の持ち主であったが、坂本は時勢の魔術師というものをどうやら天性知っていたらしく、ぎりぎりの袋小路に入り込むまでこの意見を露わにしなかった。

西郷ですら、「航海遠略策」に密かに賛同しつつも、気分としては単純攘夷家をこよなく愛して、彼らの狂気とエネルギーをもって時勢回転の原動力にしようと思っていた。
「正論では革命を起こせない。革命を起こすものは僻論(へきろん)である」


・航海遠略策とは?(WEB引用)
条約に調印して開国したのに、今さら条約破棄をするというのは道理に反する。
航海術に長けている外国と争っても利益がない。
それならば、一度開国をして海外と交易をして国力を高めることが先決ではないか?
朝廷は攘夷の考えを改めて、海外との交易で国力を高めるように幕府に命じるべき。


p283
長井雅楽暗殺を企む高杉晋作を制止するため、上海に行かせる作戦を周布が提案。
一瞬で乗った。

「左様、夢には夢の話がいいでしょう。」
「長井ごときを殺すよりも、上海を見て日本百年の計を立てるほうが遥かに大事でしょう。」


p285~
・上海にて
上海の使節派遣に、長州藩代表として高杉晋作も同乗。
西洋との文明・富力の質量の違いに肝を潰した。
「清はもはや死んでいる」
彼の想像力を遥かに超えていた。

そのくせ晋作にとって西洋文明は決して不愉快なものではなく、「威容」「厳烈にして広大」であると感じた。

諸般からは中牟田倉之助(佐賀藩)や五代才助]薩摩藩)など後年を代表する才覚者が集ったが、肝心の幕府は無能ばかりであった。

(幕府などは、屁のようなものかもしれん)という実感が、この留学で強くなった。
国内にいる頃は徳川幕府に対して天地そのもの、倒すことなど以ての外だと思っていたが、2つ3つの大名が集まれば朽木のように倒せるという事を、みずみずしい実感で思った。
このことが、晋作の上海ゆきの最大の収穫であった。

「攘夷。あくまでも攘夷だ。」
攘夷という狂気をもって国民的元気を盛り上げ、沸騰させ、それを持って諸藩大名たちを連合させ、その勢いで倒幕する。
常識からは革命の異常エネルギーは生まれないということを上海留学で確信した。


p301
高杉晋作が常人と大違いに違っているところは、上海で西洋文明の壮観を見て型通りに開国主義者にならなかったところであった。
彼は上海留学によって「西洋」に圧倒され、内心それを激しく好んだ。
が、彼はそういう自分はわざと偽装し、上海ゆき以前よりも激しい攘夷論を説いた。

「戦争だ。」
「負けやせん」
民族そのものを賭けものにするという、きわめて危険な賭博だった。
だが、侍階級だけでなく農工商も入れれば、遠海から渡来する外国人の数を大いに上回れる!


p308
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」


p309
俺は生涯、「困った」という言葉を吐いた事がない。
というのが晋作の晩年の自慢だったが、この戦略家は常に壁にぶつかった。
が、ぶつかる前にすでに活路を見出し、ときに桂馬が跳ねるように意外なところへ飛んで行く。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2018年2月6日
読了日 : 2018年2月6日
本棚登録日 : 2018年2月6日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする