いねむり先生

著者 :
  • 集英社 (2011年4月5日発売)
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本書では実名は明かされないが、「いねむり先生」は作家の「色川武大」。別の名を雀聖「 阿佐田哲也」。前者は「狂人日記」「百」などの純文学の作品を著し、後者は映画化もされた「麻雀放浪記」がある。

本書は著者 伊集院静(本書では「サブロー」)といねむり先生(作家の色川武大)が亡くなるまでの2年間のほんの短い期間の緩やかで穏やかな交流が描かれている。サブローの妻は超売れっ子女優。結婚してしばらくして妻は不治の病に罹り亡くなる。失意のどん底での生活は悲惨で、アルコール依存症に陥り、神経を病み、暴力をふるい、仕事もせずギャンブル中心の無頼な生活を送っている。そんな心身ボロボロの時に知人から先生を紹介される。先生のことをよく知る人は敬愛と親しみを込めて「いねむり先生」と呼ぶ。時と場所を選ばず前触れなしに深い睡魔に襲われる「ナルコレプシー」という奇病を持ち、競輪場であろうが麻雀の最中であろうが深い睡眠にストンと入ってしまう。それ以外にも驚嘆すべき特異性ー容貌魁偉で大食で先端恐怖症ーを持つ。笑ってしまったのは、先生と一緒に競輪場を巡る「旅打ち」の旅に出た際、新幹線の車窓から富士山が見えた途端、先生の鼓動は激しく脈打ち、異常をきたし、サブローは慌てふためき、車掌に緊急停車を申し出ようとする程。富士山のあの美しい円錐形がダメな先生。

先生とサブローは初対面からお互い惹かれるものを感じ、親交を深めて行く。ある時サブローは激しい幻覚に襲われる。先生は発作に苦しむサブローの手を握り、「大丈夫だよ」とささやく。このシーンを読んだ時、胸が熱くなった。彼を落ち着かせようとして思いつきで吐いた言葉ではなく、サブローの辛さを引き受ける愛情から出た言葉。幼い頃、熱を出して寝込んだ時、かかりつけの医者よりも母親が傍で何度も手を額に当てて看病してくれるのが、一番心強くて一番の特効薬であったように。

様々なシーンを通して先生のチャーミングぶりが伝わってくるが、冒頭にこんな一文がある。「その人が、眠むっているところを見かけたらどうかやさしくしてほしい その人は ボクらの大切な先生だから」。

本書を読みながら「優しさ」とは何なのか?を何度も考えてしまった。僕が出した結論は「愛すべき人に対して自分が絶対的な存在感であり続ける」ということ。言葉とか態度とか行為は、それはあくまでも副産物であって、その人の傍にたたずみ、常に見守ること。そのことでその人は頑張り抜き、苦しい時にも耐えられる。無条件、無償の愛ってことを強く感じさせられる小説という形を借りた、ノンフィクションであった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2017年7月26日
読了日 : 2017年7月26日
本棚登録日 : 2017年7月26日

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