八月の光 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1967年9月1日発売)
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感想 : 67
5

びっくりするくらい中上健次。
あるいは中上健次を読んだときに、びっくりするくらいフォークナーというべきだったか>高校生の私に。

似ているのは第一に、血にまつわる悲劇的な男を中心に据えていること。
第二に、誰かの噂話で断片的に中心の挿話が寄り集まっていくこと。
だからこそ、誰が起こしたどういう事件が世間的にどう捉えられるか(ら彼は逃げなければならぬのか)が判然とする。
神としての語り手が、地の文の依拠する視点を、噂するモブに宿したり、行動する中心人物に宿したり、と自由に設定する。
そのせいで前後する時間間隔よりも、事件に対する見え方の重層性を重視するからこそ、多面的に事件が見えてくる。
高校生の私には理解しきれなかった語りの重層性とは、多面的な見方だったのだ。
ひとりの語りは2D平面。重層的な語りで「3D立体としての小説」が成立する。
うん。そういうことだったんだよ>高校生の私。

ところでこの小説の素敵なところは他にもあって、キャラ的な興味も尽きない。(生きた井戸のように、今後も尽きないだろう。)
名前が似ていたということで巻き込まれるうちに狂言回しをするバイロン(まさにトホホな非リア充!)も、
ぼんやりほんわかはんなり愛されキャラなリーナも、
キツネ的性格のブラウンも、
もちろん悲劇的神話(おもえば悲劇はすべて生まれの問題……それは現代的なアイデンティティの問題とまったく同じ!)の中心を成すクリスマスの過去から現在への変遷も、忘れがたいが。

現時点で35歳を迎えんとする私にとって印象深いのは、ハイタワーだ。
産まれた家庭の歪つさを押し隠すために牧師になったはいいが、(直接には妻のゴシップ事件で)(間接には不細工な過去を隠蔽しようと自分自身を不合理に誤魔化そうとした結果)失職し、もはや失われた自らの天職を日々想いつつも隠居を余儀なくされる、肥満した中年男。
孤独で、わずかにバイロンとの会話を日々の愉しみにしていたかと思いきや、バイロンがとんでもないお願いを持ってきて、自分はもう世間を捨てたというのに、嗚呼。そんなことできないよ。でも。

ところで読了した者のうちでリーナの楽天性に希望を感じない人はいまい。
開幕からそれとなく語られ続ける「タイムリミット」。そんなんもんものともしない。
ねちねち語られてきた呪いをブッ飛ばすほどの破天荒な暢気さ!!

ところで。
登場人物のほぼすべてが「よそもの」だということは、単純に作家が見知った場所によく知る挿話を押しつけているのではない、明らかな作為が込められていることの証左である。

また今後感情移入しうる対象としては、一度は悪魔の種と孫を切り捨てたのに名残惜しさを隠せないキチガイ爺さん、その介護をする一見冷静な夫人(が狂っていて、他人の赤ん坊を自分の孫と思い込んでしまう)、
勝手に自警団を組織し犯罪者に私刑を施す中年、
などなどなどなど。

つまりは今後数十年において数回ないし十数回は読み直して、別の味わい方をしたい、美味しい小説だという予感がびんびんにしている。
現時点でこんなに美味しいのだから、間違いはないだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文学 海外 アメリカ
感想投稿日 : 2018年6月7日
読了日 : 2018年6月7日
本棚登録日 : 2015年10月14日

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