カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)

  • 光文社 (2007年7月12日発売)
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▼ぼくたちは、死ぬまで忘れないようにしましょう。たとえ、ものすごく大事な仕事にうちこんでいるときでも、立派に身を立てることができたときでも、あるいは大きな不幸にあえいでいるときも、いつどんなときも、かつてこの場所でたがいに心を通わせ、率直な感情に結びあわされてすばらしい時をすごしたことを、けっして忘れないようにしましょう。
 何かよい思い出、特に子ども時代、若い時代、家族や友人と一緒に暮らした時代の思い出ほど、その後の一生にとって大切で力強くて、健全で、有益なものはないのです。もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです。もしかするとこのひとつの思い出が、人間を大きな悪から守ってくれて、思い直してこう言うかも知れません。「ええ、私もあのときは善良だったんです」と、ね。
 人間はしばしば、善良で立派なものをあざ笑います。けれどもみなさん、ぼくはきみたちに保証します。思わずにやりとしたとしても、心はすぐにこう語りかけてくるでしょう。「いいや、笑ったりして悪いことをした、だって、笑ってはいけないことなんだもの!」ってね。そう、かわいい子どもたち、かわいい友人たち、どうか人生を恐れないで!【本文より】

▼「カラマーゾフの兄弟 5」ドストエフスキー。初出1880年。亀山郁夫訳、光文社古典新訳文庫。2020年1月読了。この第五巻は文庫本で365頁あるんですが、実は「カラマーゾフの兄弟」の本編は、70頁もありません。「4部構成+エピローグ」という作りの小説なんですが、この5巻はその「エピローグ」だけなんです。残りは、訳者による解説とドストエフスキーの評伝です。

▼長男ミーチャ、次男イワン、三男アリョーシャ、そして(恐らく)私生児のスメルジャコフ。この四兄弟と、父フョードルの物語。第3巻でフョードルが殺されます。犯人は状況証拠としてはどうみても長男ミーチャ。だが決定的な証拠は無いし、やや細部に疑問も残ります。裁判が行われる前日、スメルジャコフが「自分が殺した」とイワンに告白。そして自殺。

▼第4部では、スメルジャコフの告白が法廷に晒されますが、これとても証拠はない。次男イワンは神経を病んで病人になります。そして誤審。ミーチャに有罪判決。シベリアにウン十年、という刑。そこで4部が終わっています。

▼エピローグは、第4部の冒頭に出てきた少年イリューシャの葬儀の日です。イリューシャというのは、まあ色々あって、三男アリョーシャが友人になった、可哀想な少年です。病を得て、助からなかった。

▼ミーチャはもうすぐシベリアに送られます。なんですが、イワンが立案した「途中でミーチャを脱走させてアメリカに逃がす計画」というのが進行中です。イワンはまだ病気。でも死に至ることはなさそうな感じ。

▼ミーチャとイワンについては、もうそれ以上、この小説は触れません。ひたすら、少年イリューシャの葬儀の場での、三男アリョーシャと、参列にきた少年たちを描いて終わります。個人的には素晴らしい終わり方だと感服、感動(一応再読なんですが、すっかり忘れていました)。涙のスタンディングオーベーションでした。

▼終わり方のメッセージ、後味としては。誤謬を恐れずにすっごく簡単に言うと、「いろいろ理不尽や辛いことや恐ろしいおぞましいことが、人間関係にも愛情関係にも家族や社会との関係にも、神様や運命との関係にもあんねんけど、それでも人生恐れたらあかんでー」と、言うことだと、思います。ほとんど寅さん映画後期の渥美清と吉岡秀隆の会話と変わらないレベルなんですが、無論のこと素晴らしいのは主題そのものだけではなくて、その小説としての解釈、落とし込み方、語り口、旋律であり演奏であるわけです(寅さん映画は大好きです)。

▼村上春樹さんが「グレート・ギャツビー」について、「どうしてここまで鋭く、公正に、そして心温かく世界の実相を読み取ることができたんだろう?どうしてそんなことが可能だったんだろう、考えれば考えるほど、それが不思議でならない」と書いていますが、何も足し引きせずに「カラマーゾフの兄弟」についても同意見です。
(その村上春樹さんは別の本で、人生に大きな意味を持った本として、その「グレート・ギャツビー」と「カラマーゾフの兄弟」を挙げています)

▼一冊の本としては第5巻は全体の80%以上、訳者の亀山さんによる,ドストエフスキーの評伝と、「カラマーゾフの解説」でした。評伝の方は、かなりオモシロク読めました。

▼よく知られていますが、ドスエフスキーさんは若くしてデビューして蝶よ花よと文壇のアイドルになり、その後スランプになり、社会主義者の集まりに加わり、官憲に逮捕されて死刑宣告を受け、死刑執行の場で特使が駆けつけてシベリア流刑に減刑(そういうパフォーマンスがけっこうあったそうです)、シベリアで極悪人たちと一緒に地獄の強制労働の年月を経て、数年後ようやく娑婆に出て、作家に復活。

▼「罪と罰」をきっかけに以前を上回る大ベストセラー作家になり、かつ偉大なる文化人になりますが、並行して酒に溺れ、女に溺れ、そして何よりギャンブルの沼に落ち込み、借金と下半身スキャンダルにまみれ原稿料の前借りを繰り返しながら名作を書き続けます。2020年現在の日本だったら、芸能ジャーナリズムに骨までしゃぶられていたでしょう。作品はすばらしいけれど、もしドストエフスキーさんが身近に友人として居たらかなり鬱陶しい思いをした気がします。作品が好きだったときに、作り手とは会わない方が幸せだ、ということです。しみじみ。

▼そして終生、ロシアの官憲の監視を受け、手紙は検閲を受けていました。なので、小説は全て「官憲に捕まってまた流刑や死刑にならないように」という周到な計算と打算も含めて書かれています。すごいですね。ちなみにドストエフスキーさんの生きている間は、ずっとロマノフ王朝です。

▼解説の方は、まあ実はこれまでも各巻の終わりにかなり熱心な解説があったので、若干食傷気味でした。あと訳者の亀山さんが、「いやー、俺すごいことしちゃったもんね。ほんとにこの小説最高でしょ?凄いでしょ?こういうのも秘められてるんだぜ!」的な、かなりなセンチメントと感動を、ちょっとだけ意地悪な言い方になって申し訳ないのですが若干押しつけがましく語ってくるので、ちょっと疲れました。(翻訳としては、色々議論があるそうですが、僕は読みやすくて面白かったです。どのみち原語で読めない以上は、なんであれ訳者の誤訳、意訳、超訳、解釈が入らざるを得ませんから。みんな人間なんで。)

▼30ウン年ぶりの再読ですが、前に読んだときも大感動したことだけは覚えているんです。ただ、47歳で再読して、「いやー、ホントよかったー。絶対10代の頃はこの美味な感動は半分も分かってなかっただろうなあ」というのが率直な感想。また、10年後くらいに再読したらまたそう思える気がして、それはそれで楽しみです。(そのときにこの文章を読み返すのも楽しみ)

▼ドストエフスキーさんは、「カラマーゾフの兄弟」を、初めから「前後編の長い物語の、前編」という設計で書いたんです。死んでしまったから後半は書けなかった。訳者の亀山さんが再三指摘していますが、「カラマーゾフの兄弟」の中でやや流れから浮いて見える、「三男アリョーシャと少年たちの交流」が、恐らく後編のメインになっていく予定だったのでしょう。どうやら、後編でアリョーシャはロシア皇帝の暗殺に加わる流れだったそうです。そして、少年コーリャもそのそばにいることになっていたのでしょうか。シベリア送りになったミーチャは、無事に脱走したのでしょうか?イワンは再び元気になり、悪魔的な無神論を語ったのでしょうか?

うーん。

読みたかった・・・。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 電子書籍
感想投稿日 : 2020年2月21日
読了日 : 2020年1月30日
本棚登録日 : 2020年1月30日

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