ふとした出来事から歯車が狂って、取り返しのつかない状態に陥っていく。
後悔しても、後悔してもしきれないところではあるのだけれど、それも人生と割り切るしかないのだろう。
最近読んだ「さくら」もそう、きっかけは時計の電池切れ、だった。ほんと些細なこと。
全然関係ないけれど、「ダーウィンがきた」でやっていた「巨大なまずの鳩のみ」を思い出した。ほんの一瞬の気のゆるみ、それが鳩の人生を変える。鳩は水を飲んでいただけだ。
根底にあるのは、皆さんのレビューにある、「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなく、われわれが与えたものである」。これは強烈に心に残る。
(コレクションした音楽も、録画した映画も、本も、もうすべて読む/観る/聴く時間はまったく残されていません。集めても仕方がない。そんなことする時間が人生の貴重な時間を捨てていることに気づくべきだ。いつか見る、いつか使う、そんなときはもう来ない。断捨離して、家族との時間を大事にして、外の空気を感じた方が、人生豊かに終われるだろうな、とわかってはいるのだが。。。)
陽子ちゃんの人生はこれでよかったのだろうか、大事なのは家族で、それはしみじみ感じるけれど、この家族は幸せだったのだろうか。ちょっと悲しい。
クラ館、黒百合会、古川講堂、中央ローンなど、卒業生であれば馴染みのある風景が散りばめられている。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
小説
- 感想投稿日 : 2021年10月18日
- 読了日 : 2021年10月16日
- 本棚登録日 : 2021年10月13日
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