悪魔が来りて笛を吹く (角川文庫)

著者 :
  • 角川書店(角川グループパブリッシング) (1973年2月20日発売)
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横溝正史とはこんなに時代の先を見ていた作家だったのか。

正直なところ横溝正史の作品をじっくりと読んだのは初めてだった。
映像化された作品は観てきたけれど、よくありがちな原作にはあたらないというムーブばかりしていたのである。
今回読むきっかけになったのは9月4日にNHKで『シリーズ深読み読書会/悪魔が来りて笛を吹く』が再放送されたからである。

横溝正史は『八つ墓村』『犬神家の一族』『本陣殺人事件』など田舎の因習ものという作品を立て続けに発表し、その後で都会の貴族ものである『悪魔が来りて笛を吹く』を書いたのだと番組内で言っていた。
そういうわけで私はこの番組を見て、いわゆるネタバレを受けた状態で読むことにした。それぐらい引力が強い作品だった。

これは結末を言ってしまえば愛した女性と自分が異母兄妹だったことが発覚し、女性が自殺したことがきっかけでその原因となった自分たちの父親を含む一族を殺害した青年が最終的に自殺をする。
近親相姦故によって生まれた子どもたちが、そのことを知らず惹かれ合った自分たちも近親相姦をしてしまったというやるせない悲劇の話だ
番組ではこの作品を深読みし、横溝正史はこの時代にこの作品によって何を言いたかったのか、隠されたメッセージは?という深読みをしていく内容だった。

近親相姦はめずらしいことではない。日本でも繰り返されてきた歴史もある。天皇家でも行われてきたことだ。じゃあ近親相姦が生まれる土壌とは何か?というと家父長制だと言う。家という形、共同体を何がなんでも守るため、そこに外部の血を入れないという排他的な思想が近親相姦の土壌だと有識者たちは語っていた。

それを考えると確かに横溝正史の作品はいわゆる『家』というものにフォーカスした話が多い。
『悪魔が来りて笛を吹く』は舞台は都会で貴族の話だけれど、『八つ墓村』『犬神家の一族』なんかは田舎ものだけど確かに一族や〇〇家の話だ。
そしていずれも悲劇の発端はその家の家長である人間の身勝手な振る舞いである。
そもそもこいつらが何もやらなければ、何も起こらなかった。
そういう話が本当に多いなと気づかされた。

有識者の島田雅彦氏は「日本の小説は家庭小説が多い。家庭とは、家とは暖かく優しい場所ではなく逃れようのない地獄であり、そこで苦しむ人達がいるからこそ家庭小説が多く生まれている」ということを言っていた。
そう考えるとずっと横溝正史は家(家族、家父長制)と戦う小説を書いてきたのかもしれないと思った。

令和の今でも残念ながら家父長制から解放されたとは言いづらい状況だと思う。少なくとも私はそう感じている。
家父長制を倒さねば、戦わねばという志を持った男性作家があの時代にすでにいたのだとすればこれほど心強いことはない。

今回の『悪魔が来りて笛を吹く』で一番好きな台詞を引用してみる。
金田一耕助に調査を依頼したストーリーの起点、この作品のヒロインである椿美禰子(みねこ)のこの台詞だ。

『この家はできるだけはやく処分しましょう。そして、あたしたち、どんなにせまい家でもよいから、明るい、よく陽の当たる場所に住んで、身にしみこんだこの暗いかげを洗いおとしましょうねえ』

戦後没落していく貴族。殺人事件なんてものが起こったあとに残されたその家の当主が若い女性で、その女性にこんな台詞を言わせるのは横溝正史が家と戦ってきたということを踏まえると非常に示唆に富むものだと思う。

まさか横溝正史を家父長制批判をした作家だという視点を得ることになるとは思わなかったけれど彼や彼の作品に対する見方がガラリと変わった。
もっと横溝正史に触れたいと思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2022年11月6日
読了日 : 2022年10月2日
本棚登録日 : 2022年10月2日

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