獣の奏者 3探求編 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社 (2012年8月10日発売)
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ヨハルの口元に、かすかな苦笑が生まれた。
「言わずとも良い。あなたが何を考えているのか、何を憂いているかは、聞かずともわかる。闘蛇軍が膨れあがっていけば、やがては、その神々の山脈の向こう側で起こったような災いが訪れるのではないかと思っているのだろう。
だが、エリン、考えてみて欲しい。時は状況を変えるのだ。数百年もまえの国の事情と、いまとでは、状況はまったく違う。『天然の理を越えたる大きな群れを、災い起こさず治め得る知恵など、いまだ人は持たず』と言ったという。この男の祖父の言葉は、その時点では、正しかっただろう。だが、いまは違う」
エリンはヨハルを見つめた。
「いまならば、災いを起こさず治め得ると?」
ヨハルは吐息をつき、かすかに首をふった。
「考え方が逆だと言っておるのだ。できないかもしれぬから、やめておけ、というのは後退の思考だ。そうではないか?時は動き、状況は刻一刻と変化する。それに合わせて、もっとよい方策をとるよう考えを尽すべきだと言っているのだ」(316p)

「指輪物語」は、究極の力であり、究極の兵器でもある「力の指輪」を「捨て去る」ことを、登場人物たちは迷いはするが、基本否定はしなかった。そして、「捨て去る」ためだけにあの壮大な物語を紡いだのである。しかし、「獣の奏者」には、ホビットもエルフも、ドワーフも登場しない。人間と自然と自然の最頂部にいる王獣との話になっているのである。そして、王獣はここでは「自然」の性質と同時に人間の「作り出した」最終兵器も意味しているのだろう。それは、まるで「原発」なのではないだろうか。

もちろん、この物語が完結したのは、福島原発事故の2年前だ。王獣と原発は多くは繋がらない。しかし、エリンが王獣「再稼働」を嫌いながら、それを動かさざるを得なくなって行く過程が、現代日本と被さって仕方ない。ある老政治家は都知事だったころにこうも言っていた。
「大きな反省点はあるが、その事故をもって人間が開発した現代的な新しい技術体系を放り出すのは愚かだ」(12.10.24)
ヨハルの考え方に良く似ている。ヨハルは政治献金など受けては無いけど(^_^;)。
しかし、作者の側にヨハル的な考え方(時代に合わせなければいまの生活は成り立たないのだから、リスクがあっても突き進むのは、仕方ない)に批判的な視点が(今のところ)ないのが気になる。エリンが選んだ道は、家族を犠牲に出来ないから、「探求」途中に道が開けるかもしれないという微かな「希望(無謀?)」を信じて、王獣を「再稼働」させるというものだったのである。残念ながら、この主人公に共感は出来ない。作者が主人公の意図を越えて「壮大な世界観」を持っているのを信じるしか無い。

最終巻では、どの様に決着がつくのか。「指輪物語」のイギリスではなく、「獣の奏者」の日本の我々は、この「力」とどの様に相対していけばいいのか、次の巻が気になる。
2012年10月25日読了

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: か行 フィクション
感想投稿日 : 2012年11月26日
読了日 : 2012年11月26日
本棚登録日 : 2012年10月25日

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