五木版「親鸞」はエンターテイメント性を重視しすぎて、越後では親鸞が本来否定しているはずの「雨乞い」を大々的に行う羽目なる。失敗すれば命がない、しかし親鸞は目の前の困っている民を見捨てきれず行なってしまうのだ。そして最後の最後に奇跡が起こる。雨が降らなかったら降らなかったで、親鸞の思想が試される面白い展開になったはずなのだが、五木寛之は前巻を終わらす必要があったのか劇的な展開を用意してしまった。‥‥‥そういう弱点はあるものの、とっても面白く読める、というまさに「庶民のための」親鸞像を打ち立てる。
此処には、今までに良く描かれた「聖人親鸞」の姿はない。混沌とした中世の時代の中で、走り、怒り、悩み、おののき、間違い、後悔し、それでも真実を求めてもがいている念仏者の姿がある。あまりにも人間的な親鸞がいる。
黒面法師との三度目の対決も描かれる。母親を殺し、殺人拷問を好み、仏塔を焼き、悪を反省せず、最後まで念仏に耳もかさない極悪人も果たして「すくわれる」のか。前巻とはまた一歩進んだ親鸞の言葉を読むことが出来る。
悪人正機説、はここで一応の完成を見ているようにも思える。しかし、それを実践の場で確かめるのは次の章を待たなければならないのかもしれない。何しろ、黒面法師との最終決着はまだついていないのである。
この黒面法師、この作品のもう1人の主人公なのだろう。どの様に決着がつくのか、とっても楽しみである。
最後のあたりで、「歎異抄」を書いた唯円が登場、次回に楽しみを持たせている。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
さ行 フィクション
- 感想投稿日 : 2012年1月27日
- 読了日 : 2012年1月27日
- 本棚登録日 : 2012年1月18日
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