大きな河が流れ始めた。しかし、その前にこの会話に注目したい。
バルサはため息をついた。
「なにを知っても、判断のつらさは変わらないだろうよ。いずれにせよ判断は、ただひとつだ。あの子らを殺すか、殺さないか。それだけだろう?だれが殺すかは問題じゃない。殺されるのを知っていながら見過ごせば、わたしらが手を下したのと同じことだ」
タンダはだまりこんだ。そして、長い沈黙のあとで、つぶやくように言った。
「‥‥だが、スファルが恐れているように、あの子が人を殺していく、災いをひろげる者であるなら、あの子を助ける者は、未来の殺人の手助けしていることになる。殺されるかもしれない人たちだって、あの子とおなじ、ただひとつの生を生きているんだぞ」
「だから、あの子を今のうちに殺すのかい?」
そういって、バルサは苦い笑みを浮かべた。
「いずれ災いの種になるから、殺したほうがいい、か。そういう理屈は、いやというほど知ってるよ」
タンダはハッとしてバルサを見た。バルサは苦笑していたが、その目は、笑ってはいなかった。触れたら、切れそうなほどの怒りが、揺らめいていた。
「おまえなんぞ野良犬だ。蚤が移るから、殺したほうが人のためになる。面と向って、そう言われ、けとばされる子どもが、どんな思いをして生きのびるか、あんた、考えてみたことがあるかい」(95p)
特殊な事情を普遍化して考えるのはよくないことかもしれない。しかし、将来災いをもたらすから、今のうちにその芽を摘み取ろうと言って「いのち」を削ろうとする議論は、戦争を始めるときのほとんどの論理だ。バルサは感情に飲み込まれて言っているわけではない。いっときの問題でもなく、一生をかける覚悟で、しかもその「いのち」を守る「器」を持っている自覚があって言っているのである。
それは我々にも突きつけられている「覚悟」なのかもしれない。
一方では、一国の運命と個人との関係をどう考えるのか。という問題があり、
一方では、大国との外交と一国の財政問題をどう考えるのか。という問題があり、
一方では、この世と異世界との関係、つまり「世界」をどう見るのか。という問題がある。
そういう「大きな河」が流れ始めた。
そういうおそらく「大きな河」のほんの第一部の上巻なのに、最後の数行でちょっと涙ぐんでしまった。上橋さん、上手いよ。
2015年5月15日読了
- 感想投稿日 : 2015年5月30日
- 読了日 : 2015年5月30日
- 本棚登録日 : 2015年5月30日
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