大好きな宮沢賢治の世界に触れながら、現代青春物語としても成立する作品。かなり楽しんだ。
改めてわかることがある。賢治は童話作家や詩人や教師になるずっと前は、単なる石好き山好きの青年だったのだ。そして、幾人かの友人を持っていた。
多感な10代に見ていた世界が、仏教的世界観、科学の世界、友人との別れと肉親との別離の悲しみ、それらが一緒くたになってゆく中で脳内で結晶化し「銀河鉄道の夜」やイーハトーブ世界に変化していった。だとしたら、
「賢さ、なしてこんな丘で野宿するべさ」
「そこに三角標があるべ。こんなこと考えねか。
これから二千年も経つころ
新たな測量技術が発達して
気圏のいちばんな上層、
まるであのイギリス海岸みたいに
すてきな化石を発掘したり
あるいは白亜紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれない
その三角標のそばのトロッコ跡から
銀河鉄道が飛びつような気がしないか。
だから今晩は此処に泊まろ」
「宇宙(そら)を見ながら、か
ま、いいべさ
今日は天の河がよく見えるし」
というような、賢治たちの会話があっても
決しておかしくはない。
そんなことを妄想した東京の賢治ファンが
こんな小説を妄想してもおかしくはない。
この作品を読む間ずっと、30年ほど前初めて花巻を旅した冬の日、大沢温泉の混浴露天風呂や、小岩井農場で見たミルクをこぼしたような天の河を思い出していた。そうそう、花巻農業高校に移築していた羅須地人協会の二階で、半刻ほど昼寝をしたことなども思い出していた。一階はちょっとしたコンサートもできる板敷の広間なんだけど、二階は和風の四方和風ガラス窓付きの畳敷の部屋だった。賢治の生活を思いながら大の字になっていると、寝入っていた。と、何故昼寝などできたのか盗み入ったのか?と、ふといろいろ思い出していたら、あの日はすっかり雪景色で中に入るのに高校の職員室から鍵を借りなくちゃいけなかったのだけど、この日観光客はおそらく私1人で、先生方も大目に見てくれたのだろう、などと推察する。そんな花巻だから、七夏や三井寺や文緒のような賢治マニアの学生や、芳本先生のような詳しい大人が農業高校にいても決しておかしくはない。そこから、此処にあるように、イーハトーブ世界を確定する「巡検」が行われても決しておかしくはない。むしろ、参加したい。そう思わせる小説でした。
5月2週らむさんのレビューを読んで紐解いた。
- 感想投稿日 : 2022年7月6日
- 読了日 : 2022年7月6日
- 本棚登録日 : 2022年7月6日
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