かもめのジョナサン完成版

  • 新潮社 (2014年6月30日発売)
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昔、兄が買ったのをパラパラと見た覚えがある。どこまで読んだのか全く覚えていなかったが、今回付け加わった4章含めて全部読んでみて、1章のみ真面目に読んで、あとはジョナサンがだんだん超人(超鳥?)みたいになっていくので読むのを已めたことが判明した。

1章は面白かった。

すべてのカモメにとって、重要なのは飛ぶことではなく、食べることだった。だが、この風変わりなカモメ、ジョナサン・リヴィングストンにとって重要なのは、食べることよりも飛ぶことそれ自体だった。その他のどんなことよりも、彼は飛ぶことが好きだった。(21p)

中学生の私にとっては、その言葉はすんなり胸に落ちる言葉だった。ところが、ジョナサンはやがて天国と見紛うような処に行って、究極の「速く飛ぶ」ことはテレポーテーションなんだと気がつく。出来るんだ、と悟れば彼はそれもやってしまうのである。ジョナサンは師匠から「もっと他人を愛することを学ぶことだ」と教えられると、自分を追放した古巣に戻り、「弟子」を育成し始める。そのくだりにビックリしてしまう。子どもの私が拒否するのも当然である。ジョナサンは何度も何度も否定するのではあるが、それは「神様の誕生物語」そのものじゃないか。

ところが、作者の主張は違う。読者である我々に向けて、そのことは一生懸命に「説得」される。

「群れの連中は、あなたのことを〈偉大なカモメ〉ご自身の御子ではないかと噂していますよ」ある朝、上級のスピード練習を終えたあと、フレッチャーがジョナサンに言った。「もしそうでないとすると、あれは千年も進んだカモメだなんてね」
ジョナサンはため息をついた。誤解されるということはこういうことなのだ、と、彼は思った。噂というやつは、誰かを悪魔にしてしまうか神様に祭り上げてしまうかのどちらかだ。(111p)

読みようによっては、この作品は当時のスーパースターが神様に祭り上げられたりしていた状況を皮肉った物語にも見えないことはない。第3章は、ホントの弟子が見つかった時点でジョナサンが虚空に消える処で終わる。

「やっぱりこれは神様誕生物語だ」と当時はいろんな批判が飛び出たらしい。最も最先端の批判者は訳者である五木寛之だった。わざわざ後書きで長大な批判論文を書く。五木寛之もこの頃は若かったのである。つまりここには性も食も出てこない、生活感を否定した上からの話「冒険と自由を求めているようで逆に道徳と権威を重んじる感覚」なんだと批判したのである。

作者自身はホントは第4章を書いてはいた。しかし、なぜか第3章で止めたらしい。ところが、半世紀が経って妻が「これは何?」と詰め寄る。そこには、その後の世界、ジョナサンが神格化された世界の弊害が事細かに描かれていた。作者自身も「革紐で自由を扼殺しようとしている」21世紀の今こそこの物語が必要だと発表を決意するのである。(完成版への序文)

あれから半世紀、「ヒーローズ」みたいな超能力人間が跋扈するようなテレビドラマを経験した私たちに、この話が改めて必要なのかどうかはわからない。けれども、かなり純粋な(しかし単純な)「自由を求めるアメリカ人」の姿がここにある。

現代アメリカ文学の雰囲気を知るには、面白いテキストである気がする。
2014年8月23日読了

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2014年8月28日
読了日 : 2014年8月28日
本棚登録日 : 2014年8月28日

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