岩盤を穿(うが)つ

著者 :
  • 文藝春秋 (2009年11月11日発売)
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感想 : 18
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この本は、湯浅誠の2007年から2009年にかけての文章を集めている。

湯浅は2006年の夏ごろから急に注目されるようになったと言っている。それは私にとっても印象的な時期だった。2006年11月朝日新聞で初めてネットカフェ問題が取り上げられて、(その直後にBEでも特集)、2007年は「ネットカフェ難民」が日本テレビで命名される。(1月28日放送)湯浅のホームレス支援事業「もやい」が注目されるようになった。私が蒲田のネットカフェに泊まったのは2007年3月。このころ、一挙に「貧困」が注目されるようになった。それはまた、湯浅の見事な「戦略」であったことがここに書かれている。2008年1月週刊「金曜日」の記事である。

「いつの間にか、日本は「生存をめぐる闘い」が闘われる国になった。いや、生存をめぐる個別の闘いが、ようやく社会的に「闘い」として認知された、というべきか。三割が10年以上その暮らしを続けている「ネットカフェ難民」がようやく社会的に認知されることになったのは、その象徴だ。」(略)「言葉と状況の規定力を再度私たちが獲得しなおす必要がある。それは個々の運動が展開していった末に勝ち取られるものであると同時に、07年に出たもろもろの芽が育つために必要な条件である。手前味噌を承知で言うが、そのための「仕掛け」の一つが「反貧困」だった。格差論隆盛の中で、現在の状況を貧困問題として規定しなおし、その言葉によって個々の生活諸問題やそれに取り組む運動を、貧困問題との関係の中で位置づけること。もろもろの政策・事象がそれぞれの対象者を越えて「貧困」というフィルターを通じて共有化されること。それが一定の状況規定力を生む。」読者を考えたのか、難しい言葉を使っているが、この本(09年11月刊)の「まえがき」では意識して「貧困」という言葉を使ったと書いている。「その現実を名指さないと、それは可視化されない。「ない」ことになってしまう」

→圧倒的な資金力とマスコミ戦略の元、の側の闘いは、戦略上いつも敗れてきた。非正規労働者がこの20年で急増したのはその象徴だ。政府財界の戦略に対して、民衆の側が「戦略」で勝ったのは、加藤周一が構想した九条の会とこの湯浅の「反貧困」戦略ぐらいしか思いつかない。

中江兆民、加藤周一論は私のライフワークであるが、「湯浅誠研究序論のためのノート覚書」ぐらいのためにやはりこのサイトを利用していきたいと思う。

次の一手は何か。

「私の立場から08年の課題を述べるとしたら、それは"生きさせろ""反貧困"といった「生存権」をめぐる諸問題の普遍化・全国化ということになろうか。」「さしあたり労働運動・社会保障運動・生存権運動・消費者運動との連携、各地方都市での分野・政党横断的なネットワーク型組織の設立という形をめざすことになる。」(前述「金曜日」記事)これはその年にすでに「自由と生存のメーデー」「反貧困全国キャラバン」という形や、労働者派遣法や最賃法の改定が政治日程に上らせることにつながっていく。08年の末に彼が心残りにしていたのは「雇用保険」の問題だったらしい。出来るところから。しかし、柔軟に大胆にスパッと展望を持って動くフィールドを広げていったことが分かる。

2009年8月、民主党は政権についた。その秋、内閣府参与に就任する。2009年末に湯浅は書く。「(民主党が掲げたマニフェストについて)私たちにとっては、これが民主党の最大の政権公約である。この理念が堅持され、実行に移されるなら、私は民主党を支持する。この現実が再び、これまで幾度となくそうだったように、再び放置されるのであれば、私はそれを最大の公約違反とみなす。」「この理念」とはこのような文章である。「母子家庭で、就学旅行にも高校にもいけない子供たちがいる。病気になっても、病院にいけないお年寄りがいる。全国でも毎日、自らの命を立つ方が100人以上もいる。この現実を放置して、コンクリートの建物には巨額の税金をつぎ込む。一体、この国のどこに政治があるのでしょうか」その後民主党の「この理念」のほとんどは放置され、或いは大きく変貌しているということはご存知のとおり。

他のところでは湯浅は「一億層中流の幻想から目を覚ませ」(09.11「イミダス」)と書き、全世帯の30%を超える年収300万円未満の生活状況の改善を視野に入れる。民主党は可処分所得の増大を目に見えるし指標とすべきだ、と提言する。それが「子供手当て」「高速無料化」などのやや強引な政策ではあった。いまとなっては空しい。

湯浅誠はしかし結局、内閣府参与を去ってはいない。柔軟に使えるものは使う、という主義だからだろう。今回の震災で彼はボランティアセンターの統括みたいな仕事に就いた。「震災関係は私の専門外ではあるが、政府との調整役は出来るのではないか」という考えからだという。これによって、来るべき「なにかの運動」のときに、震災関係その他のNPO団体と、その連帯のおおきな糧になるのかもしれない。

では湯浅の明らかにした「貧困」とはどのようなものなのか。

「反貧困」を08年の夏に出版し、その年に金融危機が起きる。既に「反貧困全国キャラバン」を成功させていた湯浅は、労組や反貧困弾田との連帯を基礎に派遣村を立ち上げる。

「寄せ場化するニッポン」(国交労連中央労働学校08.11講演録)がある。ほとんどは私の聴いた講演と似ている。おそらくこの当時連続して労働団体から貧困について概論を述べてほしいという要請があったに違いない。そして多くは「反貧困」(岩波新書)という概論に繋がっていく。この本には私がその全文を載せた新書が大仏次郎論壇賞を獲ったときの朝日コメント(08.12)も載っている。

「派遣村から見た日本社会」(09.4講演録)という文がある。「貧困は貧困状態に追い込まれた人だけの問題ではない、社会の問題なんだ」と彼は繰り返し述べる。それがおそらく核心である。

セーフティネットから漏れてくる人が最後にたどり着く生活保護、しかしその補足率は15-40%。もし15%ならば、900万人近い人が、必要なのに生活保護も受けれていない日本の現実がある。

生活保護受給者は景気が良くなったからと言って減らない。事実02-07年の戦後最長の好景気間に、一貫して増え続けている。社会全体の構造の転換が必要である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: か行 ノンフィクション
感想投稿日 : 2011年10月9日
読了日 : 2011年10月9日
本棚登録日 : 2011年10月9日

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