史記 武帝紀 4 (ハルキ文庫 き 3-19)

著者 :
  • 角川春樹事務所 (2013年10月12日発売)
3.85
  • (17)
  • (49)
  • (27)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 364
感想 : 21
4

帝に即位しても、制約を受け続けた。その制約にはじっと耐えた。耐えている間に、帝の心の中には、何か暗いものが醸成されていった、と桑弘羊は見ていた。
帝が成長するにしたがって、制約は少しずつなくなっていった。その間、じっと耐えていただけでなく、帝は衛青という武人を見つけ、苛酷な試練の中で、大きく育てあげていったのだ。
帝の非凡さがなければ、衛青という非凡な軍人は育たなかっただろう。
自らの非凡さで未来を切り拓き、匈奴戦に勝利という、輝かしい結果を出したのだ。明るい光に、満ちていた。しかしその明るさの底から、時折、暗いものが頭をもたげるのを、桑弘羊は何度か感じた。
陳皇后が廃されたときがそうであったし、張湯が自裁に追い込まれたのもそうだった。
それでも、泰山封禅という、漢の帝の誰一人もなし得なかったことを、実行したところまで、暗いものは輝きで消されていた。
泰山封禅を終えたころから、帝は、自分が死なないと思いこみはじめた、と桑弘羊はしばしば感じた。天の子なるがゆえに、不死である。いくら思い込もうとしても、死ぬだろうという、自覚は別のところにある。死なないというのは、死の恐怖の裏返しでもあったのだろう。
ほぼ全てのものを手にいれても、それは一瞬で死が持ち去ってしまう。その理不尽を、天の子であろうと受け入れなければならない。
そこから、なにかが曇りはじめている。ただ光に満ちていた人生に、霧のようなものがたちこめてきている。(382p)

大司農になってしまった桑弘羊は、今のところ1人のみ処罰もされないでずっと帝の側にいる。その桑弘羊から観た劉徹論である。実は桑弘羊は、司馬遷「史記」には記述されていない。司馬遷の亡くなったのちに死んだからである。しかし、一巻目からずっと桑弘羊から見た世界がこの「史記 武帝紀」を彩っている。よって私は、桑弘羊こそが筆者(北方謙三)の分身かもしれないとさえ思うのである。

全七巻のちょうど真ん中。遂に北方版「史記」の主要人物が、歴史の舞台で活躍を始める。

司馬遷は、父親司馬談の「私の仕事を受け継ぎ、歴史を書きあげてくれ」という遺言ともいえる言葉に出会う。しかし、「史記」にある「憤死」は、司馬遷の主観であったという描き方になっていた。

李陵は「霍去病に並ぶ軍才がある」と衛青に認められていた。しかしこの巻では戦は起きない。

蘇武が終に匈奴の囚われの身となる。

ずっと北方謙三版中国歴史物語を読んで来て、桑弘羊にしろ、司馬遷にしろ、蘇武にしろ、ここまで文官が主要人物として登場して来た物語はない。しかし、当たり前といえば当たり前、歴史は戦争によって紡がれるものではない、むしろ政治の延長の上に戦争があるに過ぎない。これは北方謙三の新たなる「挑戦」というべきなのだろう。
2013年11月13日読了

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: さ行 フィクション
感想投稿日 : 2013年11月29日
読了日 : 2013年11月29日
本棚登録日 : 2013年11月29日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする