明治38年11月、本郷千駄木の木造住宅が並ぶ一軒に、数人の男が無聊を慰めていた。狭客(30歳)、元横須賀海軍工厰職工(19歳)、第一高等学校生徒(21歳)、車夫兼明治大学校生徒(18歳)、そして家の主人(38歳)夏目金之助、漱石である。名前のない黒猫もいる。
京極夏彦「書楼弔堂炎昼」を読んだ時に、この漫画を思い出した。そういえば、この漫画も未だ有名でない男たちの悩みを描いて、明治を炙り出す作品だった。
後書きに原作者は雄弁に語っているが、「事件屋稼業」で定期的にタッグを組んでいた谷口ジローと、原作者は新しいことをやろうとした。「人気はまったく期待できないよ」とことわり試みたものであるようだ。勿論、有名無名入り混じる明治時代の「日常」を描いてゆく(裏面に名作「坊ちゃん」の新解釈を隠してはいる)ものならば、普通はなかなか注目され難い作品だったろう。しかし、おそらく原作者は谷口ジローをみくびっていた。
是非とも、刊行より35年経った今、もう一度本書の頁(ページ)を捲(めく)ってみるが良い。当時の町並みを見事に再現した見開き、木漏れ日の間を歩く黒猫の冒頭から、最後の頁まで、隅々に職人画家谷口の丁寧な仕事が堪能できる。銀座の屋根瓦、正宗ホールの雑踏、普通の街路に楼鐘が溶け込んでいる。明らかに老舗の蔵とわかる土塀、人力車の轍(わだち)がうねる大道。
谷口ジロー、明治を描くのは初めてだったよな。これ確か週刊誌だったよな。私はリアルタイムで読んでいたけど、正直なところ飛ばし読みしていた。漫画アクションは愛読書ではなかったから、立ち読みでは急いで読まなくてはならなかったから。それでも単行本が出た時は購買した。何か引っ掛かったのか。一読、驚愕した。
世の常で、人気が出れば第二部第三部と続きが描かれる。しかし、二番煎じ三番煎じに切れ味が無くなるのも世の常ではある。2巻目を買って以降、買っていない。
19歳は荒畑寒村、21歳は森田草平という種明かしは冒頭で既にされていた。車夫も侠客も実在ではあるが、有名ではない。しかし、誰かに記憶されていたからこそ、ここまで名前が残ったのだろう。私としては、何処まで歴史的事実に即しているかは問題ではなく、谷口ジローの画が、彼らの実在を確信させるには十分だった。特に、車夫が小説坊ちゃんのモデルだったという説よりも、狭客が、関東大震災の時に「朝鮮人虐殺を制止しようと試み、逆に暴徒に殺害された」という説に肯くものである。
もう何度か目の再読。電子書籍に保存してあったのを読む。紙の本の方には既にレビューあげていたので、こちらの方に記入(書いていたのを完全失念。アレはアレで違う角度から書いていた)。
- 感想投稿日 : 2023年11月1日
- 読了日 : 2023年11月1日
- 本棚登録日 : 2023年11月1日
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