源氏物語初心者の私にとって、瀬戸内寂聴さんの『源氏のしおり』は、とても興味深い上に面白くて好きで、今回は、「恋愛の手順」。
なんでも平安時代の姫君にアタックするには、まず、その周りを固めている女房たちをなんとかしなければいけないのだが、それ以前に、顔や姿をみだりに見せてはならないので、男たちは、女房たちの口コミだけを頼りに、どうしようかなと考えなければならないのは、なんとも悩ましく、姫君の立場からしたら、私はこの人が良いですといった自己主張が出来ないそうで、「なんで?」とは思ったが(少年愛は当たり前だったのに)、これは、政略結婚の意味合いが最も強かったからだと言われれば、どうしようもない。
しかし、それでも強かな女性のこと、もしかしたら、そんな仕組みに於いても、それぞれに見合った幸せを掴んだのかもしれないし、反対に、とんでもない悲劇に見舞われたのだろうと思うと、社会制度がもたらした、人生の限界のようなものを窺わせて、私からしたら、なんとももどかしい思いに駆られてしまう。
ちなみに、当時の「結婚」のシステムも興味深く、男と女が結ばれた翌朝、男はまだ暗い内に姿を見られないように帰り(後朝の別れ)、家に着いたら、すぐさま手紙を書いて届けるのが礼儀であり(後朝の文)、その後三日間は必ず欠かさず通わないと、女は、男に気に入られなかったのだと、屈辱を受け、悶死するほどプライドを傷つけられるとのこと。
しかし、当時の一夫多妻制度に、これは男女それぞれにとって辛いのではと思い、もしも、複数の妻を持ちたいのであれば、少なくとも三日間は逢瀬を重ねた妻以外の妻たちがやり切れない思いをするということになるのだろうし、男は男で、どんな間隔で展開するのかは分からないが、妻が増えれば増えるほど、それぞれに等しい愛を注がなければならない訳であって、だから、一人でいいんだってばと、私は思うのですがね。でも、その時代に生きていればそうした考え方に囚われるのだろうか?
そして、それを光源氏に照らし合わせてみると、「○の上」とのそれが本文からは分かりづらいけど、一応、一夫多妻には、まだなっていないのかな。
そもそも、あっちこっちと、まめな割には、三日間通い続けていない気がするし(そんなことない?)、要するに遊びまくっているということか。
巻一では、17才までの源氏の人生を描いていたが、巻二では、18才から25才までになる。
しかも、当時の年齢は、今よりも大人びた概念であったから、さすがにちょっとは落ち着きを見せるでしょうね。もう本当にお願いしますよ。
「末摘花(すえつむばな)」
一度関わりを持ったら、どんな女もすっかり忘れてしまうことが、お出来にならない御性分の、源氏が、次にご興味を示したのは、「常陸の宮の姫君」で、どうしましょう。増える一方でございますね。
ところが、この姫君のあまりに恥ずかしがる性格が災いしたのか、全く手応えが無かったことに、源氏が、殊の外がっかりした様子に、これまでとは異なる意外性があったものの、最終的に、ああいう終わり方になったのは、自分から興味を持っておいて、酷い奴だなとは思ったが、紫式部がこうしたストーリーも書けるといった意味合いに納得するものもあったし、今後、再登場するようなので、その時の彼女を是非楽しみにしたい。
「紅葉賀(もみじのが)」
陰での遊びとは裏腹に、「青海波」の舞のあまりの素晴らしさに、人々は源氏の前世を知りたかったそうだが、私には、おそらくピュアな心を持った好色魔という、至極厄介な存在だったのではないかと勘ぐってしまう中、ついに、「藤壺の宮」が・・・。
そして、それに喜ぶ帝の様子に、彼はいったい何を思っていたのだろうか? しかも、彼なんか物ともしないくらいの、想像出来ない狂おしさを抱えているのは藤壺の宮自身であり、これ以降の彼女の誰にも言えない、その思いの葛藤は、とても胸に迫るものがあったが、それは、このような物語の展開をしてみせる、紫式部の凄さでもあるというところに、平安時代の小説の完成度の高さを気付かされて、あくまでフィクションとして楽しむには良いのだろうけど、そんな最中に、源氏はたいそう年をとった典侍(ないしのすけ)の女と一夜を共にするのが、また私には理解できず、しかも、彼の知らないところで、彼の友人「頭の中将」も彼女と会っていた中、ついに頭の中将が源氏のその逢瀬の中に侵入し、悔い改めさせるのかと思ったら、何故か、お互いの服を脱がせようとして、服がビリビリになってしまうという・・・怪しい関係だと思う以前に、平安時代にこういう嗜好を取り入れているのが、私にはなんだか新鮮だった。
「花宴(はなのえん)」
藤壺の中宮の入内によって、更に会うことが叶わなくなった源氏は、それでも諦めきれずに訪ねるが、閉まっていたので、弘徽殿の細殿に行ったら、そこで遭遇した、謎の女性といきなり・・・もう、末期症状ですか、あなたは。どうしちゃったの、一体?
そして彼は、その女性の素姓をどうしても知りたくなり、その後、酔った振りをして(こういうところは頭が働くんだよね)、再度訪れた時にそれは判明したものの、これが後にとんでもない展開になるとは、この時の彼は予想もしなかったでしょうね。
「葵(あおい)」
以前から、源氏と、ちょくちょく逢瀬を重ねていた「六条の御息所」であったが、彼女の姫君が、伊勢の斎宮に決まったことをきっかけに、このまま中途半端な関係が続くのならば、いっその事、共に伊勢に下ってしまおうかと考える中、「弘徽殿の大后」の娘、「女三の宮」の賀茂の祭見物に、源氏が御奉仕なさることを知ると、それを見に行きたくなってしまう、この女の性に心惹かれる中、源氏の正妻である、「葵の上」も身籠もった体ではあるが、それを見に行った偶然が災いしたことで、六条の御息所はプライドをズタズタにされ傷ついてしまうのだが、私からしたら、こんな子供じみた事が平安の世でも起こるのだなといった驚きがあり、それは祭の熱狂した雰囲気がそうさせただけなのかもしれないが、結局は、これが伏線となり、この後に衝撃的な展開が訪れる訳だが・・・これで二度目ですかね、こうしたスピリチュアルな要素は。しかし、こうやって当たり前のように提示されると、強ち、当時の人達の中では信じられていたのだろうと思うし、また、その描写が生々しくてリアルですよね。しかも、その中に女の情念や無念さや切なさが込められていると思うと、決して怖いとは思わず、却って、泣けるものがあるし、結果、葵の上がああなってしまったのを見ると、「なんでこういうことするんだろうね?」って、これは源氏に対しての疑問です。
それから、「西の対の姫君」にしたこともね。
「賢木(さかき)」
桐壷院の崩御で、弘徽殿の大后が幅を利かせるようになり、源氏への圧が強まる中、いよいよ藤壺の中宮の精神状態が限界を迎えるが、そこでの必死な思いと葛藤の中で導き出した、彼女の決断は、当時の情勢からしたら衝撃的なことだと思い、ここでの彼女の気持ちとしては、当然、東宮のことが最優先されるだろうとは思われるのだが、私にはそれだけでは無い点に、とても痛々しく胸を裂かれるような苦しみがあるのだろうと感じる中での、この歌は、とても感動的に私の目には映るのであった。
『ありし世のなごりだになき浦島に
立ち寄る波のめづらしきかな』
(昔の頃の名残さえ
とどめていない
わびしいわたしの住居に
立ち寄ってくれる
人があるのが珍しい)
「花散里(はなちるさと)」
ここで初登場する、麗景殿の女御の娘、「花散里(三の君)」は、実は以前から逢瀬を持たれていたとのことで、それには思わず、ナレーターの女房も、
『どんな女に対してもお心の休まる暇がなくてご苦労なことです』
と素敵な皮肉を仰られる程の、諦めっぷりを発揮しており・・・って、結局この八年間、あんた何やってたの? はぁーっ(-_-;)
「賢木」の中では触れなかったが、そこでの、あるしくじりによって、いよいよ弘徽殿の大后からの攻撃が本格的になると予想される、光源氏。
さて、巻三では、どんな展開が待っているのでしょうね。というか、いっその事、思いきり攻撃されまくった方がいいんじゃないのと思ってしまう私。
- 感想投稿日 : 2023年8月4日
- 読了日 : 2023年8月4日
- 本棚登録日 : 2023年8月4日
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