カブールの園

著者 :
  • 文藝春秋 (2017年1月11日発売)
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私の人生において、今日まで、日系アメリカ人のことを考えたことなんか、全くありませんでした。

「カブールの園」とは、日系三世のレイ(玲)が受けているVR治療を、ボーイフレンドのジョンが皮肉って名付けたもの。
カブールはアフガニスタンの首都で、イスラム教徒は豚を食べないので、そこの動物園には、豚がいる。レイは、小学校で豚の鳴き声をさせられていたのです。ジョンはVR治療に乗り気でなく、きみはきみのままでいいと言うが、母国人に、日系人の苦しみは分かるまい。まして、レイは、彼女の母と祖母を含めた三世代に続く苦しみを継承しており、それを如実に表しているのが、祖母や母が世話になったミヤケ氏(日系一世)の息子から、レイに託された「伝承のない文芸」です。これをレイは、ささやかな抵抗として翻訳します。その一部が以下になります。

「親の文字がそのまま子の文字にならないという寂寥感は、自らの國土において、母國語の表現に生きるものには感じられない事実であって、異國における日本の文芸活動は、伝承のない文芸といえるのである。」

これを読むと、正に、ジョンがレイを励ました内容に当てはまり、また、祖母の日本語の教育から逃げたレイの母の事実、母のために母の望む自分でいようと、自らを偽り、結果、母から逃げ出したレイにも該当し、自分の無力さを思い知らされます。これが三世代に渡る苦しみなのですが、ここで、思わぬ進展もあります。

仕事仲間の気遣いで長期休暇を取ったレイは、当時、祖父母が収用されていた「マンザナー日系人収容所跡」を訪れた後に、ロサンゼルスに住む母の家に行き、そこの冷蔵庫に貼ってある詩を見つけます。
加川文一の「鉄柵」で、内容の一部が

「汝の敵を見失ふことなかれ 
 汝をも失ふことなかれ」です。

なぜ、日本語嫌いだった母が、日系人の詩をと思うのですが、内容を見ると、やはり日系人としての意識を持っていたからこその、「汝をも失うことなかれ」だと思うのです。これが、レイの心にも響き、このあと、母と娘は和解します。
母は、日本語嫌いというよりは、アメリカの何にでもなれる風土に憧れて、大いなる力に誘導されていたことに、祖母が生きている間に気付けなかった事を、悔やみ、レイは、小学校時代の虐めを、「人種差別」では決してないと断言したことが、最大の偽りだったことを実感します。それぞれをお互いの会話で確認しての和解となるのですが、レイは、苦しかったのだろうなと思います。想像になりますが、生まれてくるときに、家族のルーツは自ら決められず、既に決定されている。そのルーツが差別をされるような存在、それが祖母や母も含めた日系人全てのように認めたくはなかったのではないでしょうか。そう思うくらいなら、まだ、虐めと解釈したほうが辛くないという考え方が逆に私には、グサッときました。

また、レイが物語の中で主題としていたのが、
「わたしたちの世代の最良の精神とは?」でした。
それの答えは、この先も分からないが、誰かにそれは宿っている。レイ自身は諦念を受け止め、ありうべき世代の最良の精神を守り通すこと。そのために、今の仕事で笑みを絶やさない。カブールの園が、VR治療から仕事に変わったことです。大学の友人達で始めた仕事は、日系人として要求されているわけではないけれど、レイは気にせず、楽しんで出来ているように、見えました。

この作品を改めて振り返ると、まず、どこまでがフィクションなのかと思うような緻密な構成に感嘆しました。取材力がすごいのか、知識量が豊富なのか。
とりあえず、VR治療はフィクションだと分かりましたが、他は、ドキュメントを読んでいるような、冷静で淡々としながらも、濃密な世界観を打ち出しています。加川文一や南加文芸は調べたら、本当に実在していましたし。そのリアルな世界での、日系三世代に続く苦しみを、変に感傷的にするのでなく、ありのままに書かれているのが、むしろ、痛々しく、じわじわと感動が内から湧いてくるのを、止められませんでした。

表題作の他に、もうひとつ中編の「半地下」が収録されています。こちらは、父の借金のために、日本からニューヨークに連れてこられた、祐也の青春物語と姉との思い出話になっています。祐也はアメリカに馴染みますが、父が行方不明になり、姉だけが幼い頃の頼りだった祐也の記憶が、十数年後の姉の死をきっかけに思い起こされます。泣きじゃくる祐也を見て、それが私には、日本人としての意識を取り戻したかのように見えました。ちなみに、タイトルの意味は、祐也や姉にとって、英語と日本語は決して両立せず、常にそのどちらかだけあった様が、半分だけ地上(意識上)に現れているように捉えたのだろうと解釈しています。
それとも、日本に帰国してからの、睡眠中に英語を無意識にしゃべってしまう発作を表しているのでしょうか? このとき、祐也は既に英語を話せなくなっているのに。

特に、表題作「カブールの園」が素晴らしかった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2020年1月18日
読了日 : 2020年1月17日
本棚登録日 : 2020年1月4日

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