1977年から1980年の作品を収録した、第二弾では、またしても興味深いエピソードが明らかになり、旅行だけでなく、芸術や歌謡曲等の趣味を持ちながらも、おしどり夫婦で、愛車はなんと、真っ赤なフ○○○リですって(運転はやや心配かも)!
こうなると、最終巻も気になる・・おっと失礼、これは三角形の顔をした洋装の老婦人の事でした。
泡坂妻夫さんの、創造した探偵「亜愛一郎(ああさん)」シリーズ二作目も、前作同様、泡坂さん自身の多趣味と豊富な知識と素敵な人柄が、そこかしこに表れている、多彩な内容で、毎回、今度は解き明かしてみせるぞと思いながらも、結局やられたなの繰り返しで(分かったのは「砂蛾家の消失」くらい)、推理ものとしても充分に楽しめますが、その騙し絵的な、飄々としたユーモラスさとシリアスさが同居した要素も見逃せないというか、寧ろ、そこが私の最も好きなところです。
以下、全八話の印象を、私なりに書いていきます。
「藁の猫」
初っ端から、いきなり絵画の中のトリッキーな謎掛けに、ワクワクさせられるが、結末は思いの外、切ないものがあり、人間はやがて大人になるとは言うけれど、そうなったからこその悲劇とも思われて、世の中は、そんなこと気にしない人の方が多いのだろうが、実は歴史がそれを証明しているという、泡坂さんの知識もお見事。
「砂蛾家の消失」
ホラー的前振りが新鮮な中、読んでいく内に、ホワイダニットだなと思い、割とヒントが多かった気もして、楽しかったのだが、情景描写だけでなく、何気ない会話の中にも散りばめられた、多様な伏線が素晴らしかった。
「珠洲子の装い」
これが、最も騙し絵的要素が強くて面白かった。
加茂珠洲子の死後、急に女神の偶像と化した、その人気に便乗し、次世代の彼女を生み出すような歌謡ショウ開催の流れにおいて、こういうトリックを入れてくるのだから、泡坂さんは気が抜けないというか、まるで長篇マジックを見ているようで、その種明かしに、思わず「ああ!(ああさんの事ではない)」と叫んでしまい、その細かい、一挙手一投足を見る事の大切さを痛感したと思ったら、最後のウエスト吉良の舞台裏こそ、最大の騙し絵であった。
「意外な遺骸」
いわゆる回文もので、草藤先生のフルネームもナベナシナベナも回文と、泡坂さんの遊び心満載ながら、童歌の歌詞という、ベタで強烈な要素も混ぜ込んで、いったいどうなると思っていたら、真相がブッ飛びすぎて驚き! これは想像もつかなかったし、『人の目を欺くための一つの手段として、そのものの廻りに、いろいろな余計なものを付け加える』の深さを、まざまざと実感し、それによって、桜井料二の憧れがあっさり転換する様子も面白かったが、あまりの自分像の無さに、「料二不条理」なんて回文も思いついて、嬉ちいわあ・・と思ったら、「りょうじふじょうり」で、「よ」と「う」が逆でした。惜しい。
「ねじれた帽子」
二話の「オオタケタテクサ」と、四話の「オウタケヘゲタウオ」の博士、大竹譲がここでようやく登場するが、このキャラクターが好きで、とにかく落ち着きがなく、せっかちでありながら、お節介で世話好きという、人によっては絶対受け付けないと思うかもしれないが、不思議と読んでて、そうは思えないところに、泡坂さんの人柄の良さが垣間見えて、人情噺を見ているよう。帽子屋の調子のいいところも憎めず、むしろ、大竹の世話好きがそうさせたのだとも感じたが、それに負けず、ああさんの世話好きも相当なものだと思った。
「争う四巨頭」
元刑事の鈴木は、「狼狽」の「黒い霧」の坊主頭かと推測できるのが、続きの話のようで面白く、金堀商店街の「伊豆政のおかみ」も懐かしく思われたが、謎はまたまた意外性のあるもので、思いっきり煽っておいて、「ああ・・(くどいようだが、ああさんのことではない)」と、ややトーンダウンしたが、これはこれで騙し絵の楽しさがあり、仕事の無くなった鈴木の今の楽しみが料理というのは、泡坂さん自身の投影でしょと思ってしまった。
「三郎町途上」
「お響姐さん」こと、昆虫学者兼エッセイストの、「朝日響子」博士が、ああさんを連れて、事件の謎に挑むのだが、これが中々の本格派で、文章の些細な矛盾点を自ら探さないと、真相に辿り着けないようになっている、こういう起伏の激しい感じが、またこのシリーズの持ち味なのではないかと思ったが、姐さんと、ああさんの今後もありそうで気になるし、おそらくこんな会話してんだろうな・・・
「愛公よ、早う来い、亜」。
「あいこうよはようこいあ」。
今度は上手く出来ました(ちょっと苦しいか^^;)。
「病人に刃物」
「狼狽」の「掘出された童話」の、青嵐社の編集長が再登場し、前作の中の、「今年の風邪は目に来る」は、この話の前振りだったのではと思ってしまうくらい、泡坂さんの中では、既に組み立てられていたストーリーなのかと、登場人物を大事にする一面も感じられて嬉しかったが、真相は最も重くて笑えず、ここでいうところの、「信じられない誤り」から「悪魔の存在」へと人間が変貌していく怖さは、今の時代でも十分に通用する、人の心の危ういことの悲しさを思い知った。
ここで探偵、亜愛一郎の苗字の説明として、
「亜硝酸アミール」の亜、
「亜鉛」の亜、
の他に、
『心のない悪という字です』
と、ああさん自ら語ったこの内容の深さは、上記の「悪魔の存在」と対比させることで、より明確になり、そうか、悪は人間の心次第でもたらされるものなんだと、改めて実感すると、もうこれ以上、何も書かなくても、亜愛一郎がどんな人か分かるでしょ?
そういう人なんですよ(ちなみに、今回も一度「きゃっ」と言いました)。
《余談》
田中芳樹さんの「だます達人、だまされる達人」の中の、泡坂さんの厳しい眼差しというのが心に残りまして・・というのも、泡坂さんなら、そうした事にとても真剣になることは確かだと思いましたし、それこそが、作品を面白くしている大きな要素ですし、更にそれは、読者の事を最も考えて下さっているからだということを実感できたのが、とても嬉しかったからです。
『先人に費いつくされたアイデアなんてありませんよ』
それから、「11枚のとらんぷ」のオリジナルのフランス綴じのページ、私もペーパーナイフで切り開いてみたい!
- 感想投稿日 : 2023年1月26日
- 読了日 : 2023年1月26日
- 本棚登録日 : 2023年1月26日
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