「ロボットカミイ」の古田足日さんと、元気いっぱいの子どもたちを鉛筆画で微笑ましく描いた、田畑精一さんのコンビによる、1974年作の、子どもたちの素敵な想像力が生み出した冒険の面白さは、今読んでも変わらないワクワク感でいっぱいである。
タイトルは記憶にあったので、おそらく私も幼い頃に読んでいるはずが、全く覚えておらず、改めて読んでみると、教育上の問題として、今の時代には引っかかりそうな可能性もあるとは思うが、それでも、表紙裏のカバーの折り返しに、著者二人の当時の住所が掲載されていたりと、プライバシー権の侵害として、今ならばまずあり得ない、当時は平和な世の中だったんだなと思う。
だから、そうした当時の雰囲気を加味してというのもあると感じ、確かに押し入れに閉じ込めるというのは、いくら悪いことをしたとしても、ちょっとやり過ぎなのではと思うのだが、問題はそれに対して、実際に子どもがどう感じたかだと私は思うし、先生も決してやりたくてやっているわけでは無いのは、本書の文章からも分かるように、昼寝中に走り回れば、子どものお腹を踏んづけて破裂させてしまうような重大事故の可能性もあるし、『ごめんねと言ってくれて良かった』という、先生の本音からもそれを感じられて、改めて先生って大変な仕事だと思う。
そして、ここでの冒険者となる、「さとちゃん」と「あーくん」は、そんな押し入れの暗闇や、その後の冒険に於いて、何度も挫けそうになるが、そうした諦めが訪れそうになる度に対抗できたのは、暗闇の中でもしっかりと感じ取れるお互いの存在で、それを具現化したのが手を握ることであり、この手を握るという行為自体にも、勇気や安心感、一人で出来ないことも二人ならば、といった様々な意味が感じ取れて、これを実感することで初めて、押し入れが上の段と下の段に分けられている設定にも、納得するわけである。
更に、二人を励ますきっかけとなったのが、あーくんのミニカーとデゴイチであり、最初、さとちゃんが勝手にミニカーを持ち出したときこそ、腹を立てたものの、その後、押し入れの中で「さっきはごめんね」と、さとちゃんが返してくれたとき、初めてお互いに手と手が触れた、これがあーくんには、とても救いになったのであろうことは、上記の内容からも分かるように、あーくんにとっては、それだけ、さとちゃんが同じ押し入れにいてくれることが、とても心強く感じられた。だから、デゴイチをさとちゃんに貸したのである。
そして、本書最大の読み所である、子どもたちの想像力の世界は、そのミニカーとデゴイチと押し入れの暗闇があれば十分なのであり、それらが生み出した世界が、どれだけ素晴らしいのかは、田畑精一さんの数少ないカラーの絵が証明しており、それまで、ずっとモノクロの絵が続いてきたから、その鮮やかさは尚更であるし、しかもその泣きたくなるような、ハッとさせられる夜の切なさと美しさには、全く子どもに媚びていない理屈では無く感覚で捉えられる、ありのままの輝きがあり、そこには、それだけ子どもの想像力は素晴らしいのだと、田畑さんが言っているようにも思われたのが、私にとって、何よりも印象深かった。
また、その印象は、大人になって読んだことで、初めて感じ取れたことから、子どもの頃に読むことと、大人になってから絵本を読むことでは、全く感じ取れるものが異なることに気付くことが出来たことにより、大人になって絵本を読む意義を、改めて実感出来た喜びも、私の中ではとても大きかったし、世代毎に異なる印象を抱ける作品というのは、それだけ、作品に深みがある裏返しでもあるのだと思う。
それから、気になる冒険の展開であるが、これがまた、現実味に富んだ臨場感溢れる舞台(田畑さんの、精密な高速道路の絵が雰囲気抜群)でありながら、何をしてくるか分からないキャラクターとの、先の読めない展開に、却って、ハラハラドキドキさせられて、いったい二人はどうなるんだとページを捲る手が止まらなかった、その面白さには、冒険を通して、人間としても一回り成長した二人の姿があり、それを讃えるような田畑さんのやわらかいカラーの星の絵に癒され、更には、苦手なものも好きなものに変わるかもしれない素敵な可能性も教えてくれた、物語としてのまとまりも素晴らしく、本書が今でも読み続けられている普遍的名作であることにも納得の、子どもが自分たちだけで道を切り開いていく爽やかさも魅力の、希望の絵本である。
- 感想投稿日 : 2024年1月22日
- 読了日 : 2024年1月22日
- 本棚登録日 : 2024年1月22日
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