オランダの絵本作家、レオ・レオニの1967年作は、まさに谷川俊太郎さんの訳がぴったりな、目には見えないものの大切さを、私に教えてくれた。
副題の『ちょっと かわった のねずみの はなし』からも連想される、野ねずみの「フレデリック」は、他の四匹が厳しい冬に向けて、せっせと食料を集めては、彼らの隠れ家へ運んでいる中、ただあらぬ方を向いて動かずにいたが、その真相を知った後になれば、それは『ちょっとかわった』ではなく、『世界の見方が、ちょっと違う』ということに、きっと気付くだろうと思う。
そして、その見方の違いによって、彼らが実感したことは、体だけが満たされても、やがては力尽きてしまうが、決して尽きないであろう、それさえあれば、きっと、どんな困難も乗り越えられるのではないかという、心が満たされることの大切さであり、それを為し得るものが、言葉と想像力である。
絵本に於いての想像力の素晴らしさは、数え切れないほど感じてきたが、ここでの言葉は、フレデリックから他の野ねずみたちへ伝わることで、初めて想像力が育まれる、その流れを知ることで実感出来る素晴らしさであり、そんな言葉を生み出すのが、『ちょっとかわった』ものであるのならば、その呼び名も中々、捨てたものではないと思えてくる、その人ならではの個性の素晴らしさである。
また、想像力に関しては、本書でまたまたレオニがやってくれたと感じたのが、以前読んだ、「あおくんときいろちゃん」や「スイミー」とは異なる、切り絵のコラージュ技法と水彩画で描かれた、手作り感漂う温かみを感じさせつつ、それがアートにまで昇華したような世界観であり、その最初の見開きは、独特な模様の草原や木、一つ一つを異なる色合いと大きさで丹念に描いた石たちで構成された石垣だけの、まだフレデリックたちが登場していない、背景だけの絵でありながら、既に魅せられてしまうものがあり、特に、草原の中にぽつぽつとある花は、貼っているのがよく分かるような紙の厚みを実感出来るので、気になった方は、是非確かめてみてほしいし、ここの本文の『うしが ぶらぶら あるいてる。うまが ぱかぱか はしってる』には、牛や馬が描かれていなくても、この素敵なコラージュに合うのは、いったいどんなものかなと、想像力を働かせるのに充分な効果があり、こうした点には、レオニが子どもたちの気持ちに立ち、狙って書いていることが実感出来る、彼の絵本作家としての素晴らしさである。
ちなみに、紙の厚みを実感出来るのは、フレデリックたち、野ねずみもそうであり、その立体感ある独特な存在感の面白さは、今見ても、とても新鮮に感じられる普遍性に溢れているし、ネットで調べてみたら、彼らの体の輪郭からは、手でちぎった跡が見られるとのことで、改めて見ると、なるほど確かにと、そんなラフな感じが、また彼らの存在感をより増して、柔らかいものにしてくれているようで、そのレオニの、まるで子どもの頭の中から生まれたような想像力には、とても惹き付けられるものがあり、今後も彼の作品を読んで、その独特な作家性や人間性をますます知りたくなった。
それから、ネットで調べている過程で知った、1904年にノーベル文学賞を受賞した、フランスの詩人、フレデリック・ミストラルと、本書との関連性はあるのだろうか? 調べてみたが分からなかった。ちなみにバラの名前にもなったということで、気になっていたのだが。
いずれにしても、詩人と花はよく似合うと思う。何故ならば、どちらも言葉にし尽くせない思いを抱かせながら、それを言葉として浮かび上がらせてくれる、奇跡のような存在であるのだから。
本書は、aoi-soraさんとのコメントのやり取りで、読むことが出来ました。
ありがとうございます。
- 感想投稿日 : 2024年1月24日
- 読了日 : 2024年1月24日
- 本棚登録日 : 2024年1月24日
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