パウロやトルストイが説くような「愛は惜しみなく与え」という命題に対して、愛することの本質が"対象を自己に取り込み奪い続ける"ことにあるとする評論。
(習俗的生活、知性的生活に対する)本能的生活を第一義的なものと措定し、そこから「愛」概念の逆説化を図る。
若い頃にキリスト教的なヒューマニズムとか社会主義ないし無政府主義に傾倒した有島武郎だったが、そういう廻り道を経て、結局のところ我が「個性」という一元的、根元的なところへ立ち返ってきている。
個性を重んじれば、愛することも畢竟自分のため、自分の血肉とするための営為ということになる。
ところが、「奪ふ」愛を突き詰めすぎた挙句、"死の前における愛の無力"を悟り、惨たらしい情死を遂げざるを得なかったのだった。
まさしくその点に、この評論の限界までも透けて見えてしまうような。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
エッセイ・随筆・評論・日記
- 感想投稿日 : 2016年5月1日
- 読了日 : 2016年3月21日
- 本棚登録日 : 2015年3月7日
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