ナウシカ考 風の谷の黙示録

著者 :
  • 岩波書店 (2019年11月22日発売)
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感想 : 48
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今こそマンガ版『ナウシカ』を読み直そう!と思わせてくれたその一点だけでも価値のあった本。おかげさまでこの年末年始はナウシカを読み返しながら過ごすことになり、考えてみればパンデミック下の今にふさわしい物語であるかもしれない。
さて、まさに赤坂憲雄が強調するごとく、ナウシカとは神の計画に歯向かう混沌である。この主人公を生み出した作者の宮崎駿自身もまた全能の神としての語り手の位置をとりえず、物語そのものがもつ力に引きずられていた。それゆえか、よく考えてみると最後までわからないこともこの物語には多い。
赤坂氏は本書で「文字」「卑賤民」「宗教」「文字」「名づけ」「母」「黙示録」などいくつかのテーマを立ててこの豊饒な混沌を読み解く試みを行っている。まさにいずれも重要なテーマであるのだが、腐海そのもののような物語を前に、物語の中に手を突っ込んでみては作者が投げ出していった描写を取り出して輪郭をなぞるだけに終わるような部分も多かったように感じられる。
たとえば母というテーマの中核的重要性は、このマンガを読んだ誰もが感じ取ることだろう。母に愛されることのなかった娘ナウシカは、巨神兵に「ママ」と呼びかけられてその母となることを引き受ける。この物語において「母」が生/再生産よりもむしろ死と濃密に結びついているのは赤坂の指摘の通りなのだが、それにしてもこの決定的な行為としての「母となる」ことをどう理解すべきかは容易に理解しがたい問題だ。それはナウシカが周囲の人々に繰り返し見せてきた慈母の像と似ているようでいて明らかに違う。ナウシカが「オーマに名をあたえたときから心を閉ざし」たのはなぜか、そしてオーマが名をあたえられたことにより知能を発展させ裁定者を名乗ることになるのはなぜなのか。もうすこし突っ込んだ考察が読みたかったところだ。
そしてこの点と関わり、やや意外でもあったのは、「3.11」を経ての読み直しにもかかわらず、核の問題が明示的に考察の中に据えられていないということだ。
1982年に連載が始まったこの物語において、「火の七日間」に使用され「毒の光」を放つ巨神兵はあきらかに核兵器そのものである。放射能に冒された世界を腐海が浄化するというイメージは美しいけれども、核が肉と人格を備えて人を母と呼ぶ姿は、あまりにもグロテスクというしかない。ナウシカはそのような存在に「無垢」という名をあたえて起動させ、それが最初から死神として作られなかった可能性を考える。あるいはオーマが裁定者を名乗るのは、その恐るべき力をいかに使うかによって実は人自身が裁きに付されることを意味しているのか。毒をまかれた東北をフィールドとする赤坂氏はこの核をめぐる想像を今どう読んだのだろうか。
そのような生命を弄ぶ科学技術が伝わるのが西洋的なトルメキアではなく、むしろ東洋を思わせる土鬼国であるということも興味深い。どこからともなくこの地に降臨して土着の宗教を否定し宗教支配を敷いてきた神聖皇帝も、たしかに天皇制の影が射しているように思われるが、この考察もまたそこまでで終わっている。
それだけ原作が偉大な混沌ということでもあろうが、文章にくどい繰り返しが多いこともあり、わくわくするような知的興奮をあたえてくれる分析とまでは思えなかった。
とはいえ、ここから先はまさに原作とそれぞれが格闘する領域なのかもしれない。少なくともそのための手がかりは示してくれる本である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ノンフィクション
感想投稿日 : 2021年1月4日
読了日 : 2021年1月3日
本棚登録日 : 2021年1月4日

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