パンドラの匣 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1973年11月1日発売)
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 「正義と微笑」(昭和17年6月)と「パンドラの匣」(昭和20 年10月〜11月)の二編が収められている。
 「正義と微笑」は太宰の年少の友人の十六歳から十七歳の時の日記を下敷きにし、「パンドラの匣」は結核で亡くなった太宰のファンの闘病日記を下敷にしている。両方とも下敷はあるがフィクションも含み、太宰自身の心情を濃く反映している。そしてどちらも、十代後半から二十歳くらいの青年の心のうちの懊悩、挫折、喜び、生命力……などに満ちた青春小説である。
 「正義と微笑」の主人公は、父親替わりの兄の愛情を受けながら、自分の進路について悩んだり、友人との確執に悩んだり、教師のことを批判したり、家族の愛情に感謝したりする日々を日記に書く。今日清々しく、未来が明るく見えたかと思うと、次の日には何もかも訳もなく、虚しく感じ、自殺したくなるというような、青春の心の浮き沈みを書いている。
 理解あるお兄さんに背中を押され、俳優を目指す主人公。希望する劇団に入り、毎日修行の日々。初舞台がおわり、楽屋風呂に入ったとき、
「あすから毎日、と思ったら発狂しそうな、たまらぬ嫌悪を覚えた。役者は、いやだ!ほんの一瞬間の出来事であったが、のたうち回るほど苦しかった。いっそ発狂したい、と思っているうちに、その苦しみが、ふうと消えて、淋しさだけが残った。なんじら断食するとき、……あの、十六歳の春に日記の巻頭に大きく書き付けておいたキリストの言葉が、その時、鮮やかに蘇って来た。汝ら断食するとき、頭に油をぬり、顔を洗え。苦しみは誰にだってあるのだ。ああ、断食は微笑と共に行え。……」と、自分を奮い立たせる。
 そうだね。社会に出始めの時、自活し始めたとき、誰もがそんな淋しい気持ちになるよね。新社会人でなくても、私だってこの主人公の倍以上の年齢だけど、新しい道に進む時には、そんな淋しい、自分がとてつもなく愚か者のような気持ちになる瞬間が一日に何度もある。そんな、一瞬の気持ちを三十代で表現した太宰さんは本当に心底真面目な人だったのだと思う。
 大阪、名古屋公演を終え、二ヶ月ぶりに東京に帰り、駅に迎えに来てくれた兄さんの顔を見て、
「僕は、兄さんと、もうはっきり違った世界に住んでいることを自覚した。僕は日焼けした生活人だ。ロマンチシズムはもうないのだ。筋張った、意地悪のリアリストだ。」
 こんなに清々しく、自分の成長を認められたことが私にあっただろうか。いつまでも、誤魔化して、甘えている子供であり続けたと思う。
 最後の主人公の決意の言葉が好きだ。
 「真面目に努力していくだけだ。これからは、単純に、正直に行動しよう。知らないことは知らないと言おう。出来ないことは出来ないと言おう。……磐の上に、小さい家を築こう。」

「パンドラの匣」は「健康道場」という風変わりな結核療養所で、迫りくる死におびえながらも、病気と闘い、明るく精一杯生きる二十歳の青年と患者(塾生と呼ばれている)同士の交流、看護婦さん(助手と呼ばれている)との恋愛感情などを描いた青春ドラマだ。学園物でもない、病院ものでもない、閉ざされた特有の空間での青春ドラマ。新聞連載だったそうで、書き進むにつれて太宰自身が虚しい気持ちになり、連載を早々に切り上げたそうなので、ストーリーはなんだか盛り上がりにかける気がしたが、ドラマ化されたら面白いかもしれないと思った。

 

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年2月21日
読了日 : 2021年2月21日
本棚登録日 : 2021年2月21日

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