さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1986年9月29日発売)
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本棚登録 : 279
感想 : 31
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『ジョン万次郎漂流記』のみの感想。
 幕末から明治初期にかけての実在の人物についての小説。資料にない部分は井伏氏の空想で補われている。
 冒険譚として非常に面白かった。
 土佐で貧しい漁師だった万次郎は15歳の時の正月に他の四人とともに漁船に乗っていて、嵐に会い、一週間ほど漂流した。
 ようやく周囲が一里ばかりの無人島に到着し、そこを当座の棲家とした。彼らは島でただ一箇所岩の窪みに水が溜まっている所だけを“井戸”として大切に使い、あほう鳥を取って食べるなどして命を繋いでいたが、それも限界に達した頃、そばを通りかかったアメリカの漁船に助けられた。
 身振り手振りでかなり言葉が通じ、そのアメリカ人たちは万次郎たちに大変親切にしてくれた。
 ハワイのオアフ島で5人は上陸し、4人はそのままオアフ島に残り、生活の保護まで受けて不自由なく、暮らしたが、万次郎だけはホイットフィールド船長に大変気に入られたので、そのままジョン・ホーランド号に乗り続け、太平洋を横断しながら捕鯨し、やがて、アメリカのマサチューセッツに上陸し、船長の家族と共に暮らすことになった。
 アメリカで万次郎は学校にいかせてもらったり、農耕牧畜の余暇に読書したり、測量を教わったりして、教養を身に着けた。また、捕鯨船に乗り組んで、アフリカやインドのほうまで捕鯨に行ったり、一人カリフォルニアまで銀の採掘に行ったりもした。
 立身出世する人というのは、いつの時代でも、どんな場合でもやることが違うのだなと感心した。面白かったのは、万次郎が捕鯨船で世界を回っているとき、2回くらい、日本の船と出会っているのに、その時は言葉が全然通じていないのだ。アメリカの船に助けられた時にはあんなに言葉が通じたのに、いくら万次郎の土佐弁とその時出会った船に乗っていた日本人の方言が違うといっても、心の問題なのだな。
 何年かたち、ある時、万次郎はハワイに行って、昔一緒に漂流した仲間を訪ねる。一人は病死してしまっていたが、あとの3人は元気に働いて暮らしていた。日本へ帰る相談をし、一人はハワイに残ると言ったが、万次郎を含むあとの三人は中国へ行く商船に乗せてもらい、日本の近くで下ろして貰ってそこから小舟で自分たちで上陸する計画を立てた。大変危険な計画だったが果たしてそれは成功し、万次郎達は沖縄の島の一つに上陸出来た。
 一通りの取り調べを受けたが、アメリカのことや英語を知っているということで、薩摩藩主らに気に入られ、やがて日本に黒船がやって来たころ、通訳として江戸に呼ばれた。その後、捕鯨、造船、測量の分野などで活躍し、福沢諭吉や勝麟太郎らとともに咸臨丸に乗ってサンフランシスコにも渡った。晩年には開成学校で英語教授をした。そして、アメリカに行って、恩人ホイットフィールド船長にも会うことが出来た。
 初めに漁船が漂流した時には生きていたことだけでも奇跡であったのに、その後はなんと運が良かったのだろう。勿論、運を引き付けるものを万次郎たちは持っていたのだろうが、鎖国時代で、しかも日本がアメリカに武力を見せつけられて脅される少し前に、万次郎たちが出会ったアメリカ人たちはなんといい人たちだったのだろう。ファンタジーかと思うくらい素晴らしかった。
 この小説が発表されたのは、昭和12年、日米間が険悪になり始めたころだそうだ。
 

 

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2021年7月27日
読了日 : 2021年7月26日
本棚登録日 : 2021年7月26日

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