そして、バトンは渡された

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  • 文藝春秋 (2018年2月22日発売)
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「本当に何か困ったことはないの?」と聞かれて困っている。17年の人生で家族の形態が7回も変わり、父親が三人と母親が二人もいる。それなりに気を使うことはあったが、人が想像するようなドラマチックな不幸なことは何も無かったという。
当たり前じゃないか。そんなに沢山の親に可愛がってもらってきた姿を天国のお母さんが見たら、どんなに安心するだろう。
だけど、所々しみじみするセリフ。

(お母さんは本当はトラックに轢かれて死んでしまったとお父さんから聞いた時)
「遠くじゃなくて天国にいるということは、どれだけ待っていても、入学式や卒業式だろうとお母さんに会えないということも分かってきた。いつかは会える。そう望むことは、これからはなくなるということだ。…どこかにいてくれるのと、どこにもいないのとでは、まるで違う。血が繋がっていようがいまいが、自分の家族を、そばにいてくれた人を、亡くすのは何より悲しいことだ。」

「出来るだけ笑ってよう。誰にでもにこにこしよう。私は心にそう決めた。…きっとこんなふうに楽しいことだけの毎日なんて続かない。笑っていないとだめなことが、いつかやってくる。どこかでそんな予感がしていた。」

(親しくしていた大家さんが老人ホームにはいることになって家の片付けを手伝っていたとき)
「本当に強くならなくてはいけない時がやってくる。大家さんの家がきれいになっていくのに従って、私はそう感じた。」

 主人公は優子は親が何回も変わっていて、三人目の親からは血の繋がっていない人ばかりだが、不幸では無い。どの親も優子のために自分の人生を捧げるくらい大事にしてくれるからだ。
だけど、家族が変わるたびに大きな「別れ」の悲しみは経験している。
だが、「悲しみ=不幸」ではない。
むしろ、本当の悲しみを知らないことのほうが、本当の不幸だと思う。その人がいなくなってしまうことで「悲しい」という気持ちを教えてくれる人が自分に存在したということ。それが本当の幸せということだ。
 2番目のお母さんである梨花さんにはお父さんがいなかった。2番めのお父さんの泉ケ原さんは奥さんを亡くしていた。最後のお父さんである森宮さんは家族を亡くした経験は無さそうだが、実家と折り合いが悪くて早くから一人暮らしをしていた。
 優子の親となった血の繋がっていない人たちは、「本当の悲しみ」や「本当の寂しさ」を知っていた人達だった。だから優子の親として過ごす時間を何より愛しんでくれた。
「親になるって、未来が二倍以上になることだよって。明日が二つに出来るなんて、すごいと思わない?」喜んで優子の継母になってくれた梨花さんの前向き発言にはこっちまで幸せな気持ちになれる。

「本当に幸せなのは、誰かと共に喜びを紡いでいる時じゃない。自分の知らない未来へとバトンを渡す時だ。」
最後のこの部分が分かるような分からないような。
たぶんこういうことだと思う。
優子のことを「不幸」だと決めつけ、そのくせ自分たちの血のつながった親について文句ばかり言っていた同級生たちは、見ようによれば、本当は「共に喜びを紡げる」人達と常に一緒にいるのに、そのことに気づけないでいた。でもその当たり前に幸福な不足のない幸福の輪が、ある日突然プツリと切れてしまうような不幸なことが起きたとき、初めて「悲しみ」を知るだろうが、その時にその「悲しみ」から「幸せ」を知って、未来の自分にバトンを渡すエネルギーに変えられれば、それで初めて幸せになるということ。かな?

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年6月16日
読了日 : 2023年6月16日
本棚登録日 : 2023年6月16日

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