詩集のように大きな字で読みやすいと思ったら、この短編小説は一文一文がまるで詩であった。
(引用 1)
その頃僕たちが住んでいたのは、北九州のKという町だ。Kは製鉄が生んだお金で栄えた町で、人の気質や言葉は荒っぽかったが、町並みにはしっとりしたあたたかみがあった。まだ決定的にさびれてはいないのだけれど、ある時点で進むことをやめてしまった、そういうものだけが束の間持つことの出来るあたたかみだ。
(引用 2)
離婚から二年ほどの間に、母は僕を連れ、まるで西日を追いかけるように西へ西へと転々とする生活を続けた。(以下略)それはまさに、「風に吹かれる二枚の木の葉のような生活だった」はずだ…
てこじいというのは母親の父で、母親がほんの小さい頃は北海道で荒っぽい力仕事を人に頼らず色々とこなしてきたが、終戦後、東京に出てからは、家のお金を度々持出し、何日も家を開け、無頼の限りを尽くしてきた人だった。
僕と母が暮らす、西日の当たる1Kのアパートに、ある日ふらっと、てこじいが現れたとき、浮浪者のような姿だった。てこじいはその部屋の隅っこのタンスの前で、昼も夜もずっとうずくまっていた。
母親のてこじいに対する態度は複雑で、いつも怒っているようで、掃除機をわざとぶつけるなど、ぞんざいな接し方をしていた。
けれど、たまには、てこじいの好きな蛸をおかずに加えたり、健康に気遣ったおかずを沢山食べさせようとしたり、よく面倒も見ていた。
その頃、母親は会社の上司と不倫関係にあり、お腹の子供のことで、泣きながら夜中にてこじいに相談もした。やっぱり、心の支えであったのだ。「諦めろ」とてこじいは諭すが、その後、母親を元気づけるために、余命幾ばくもない体で、何キロも離れた海までバケツ2杯もアカガイを取りに行って、一人歩いて帰り、母親と僕に刺し身として振る舞った。
間もなく、てこじいは入院するのだが、母親は目を釣り上げながら、最後まで、毎日、シジミ汁を作って、てこじいの見舞いに行く。そんな母にはまだてこじいが必要だ、と子供心に悟った僕はてこじいの耳元で「死んじゃ駄目だよ」と言う。
てこじいが家に来てから母は変わった。僕と二人で暮していた時には、メソメソ泣いたり、「いつか、お金が貯まったら南の島を買って二人で暮らそう」などという、現実逃避の夢ばかり語っていたが、てこじいが来て、世話をするようになってからは、現実的な問題解決をするようになった。そして、僕も知らなかったてこじいの昔話や母親とのエピソードを聞いて、自分と血のつながった人たちの人生に興味を持った。
てこじいが亡くなった後、母親は東京に戻る決心をする、太陽が沈んでいく町で、わだかまりのあった自分の父親と悔いのない最後を過ごしたあとで、前向きに東の町へ戻ったということであろう。
ネタバレすぎるくらい筋を書いてしまったが、話の筋よりも、文章が美しく、とっぷりと浸っていたくなりますので、是非ご一読を!
- 感想投稿日 : 2021年1月15日
- 読了日 : 2021年1月15日
- 本棚登録日 : 2020年11月22日
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