21世紀の自由論: 「優しいリアリズム」の時代へ (佐々木俊尚)

著者 :
  • 佐々木俊尚 (2015年6月9日発売)
3.85
  • (7)
  • (17)
  • (6)
  • (3)
  • (0)
本棚登録 : 100
感想 : 14

第1章は日本の言論の現代史の俯瞰である。「リベラル」も「保守」も「ネット右翼」も、政治哲学がなく「立ち位置」だけがある。「マイノリティー憑依」によって、どこにもいない、幻想でしかない外部に自身を置き、その安全圏から内部を批判するばかりである。だから発言にも行動にも論理的な一貫性がなく、奇妙なねじれとジレンマから逃れることができない。

しかし、第2章に示されるように、論理的一貫性をもった選択のよりどころとなってきた「普遍」もまた、その擁護者たるヨーロッパの没落とともに失効しているという指摘は明快だ。よりどころはどこにもない、「過酷な移行期(l.1878)」に我々はいるのだという。

今は過渡期だと誰でも簡単にいうけれども、大抵は、自分の経験とは違うことが起きているという程度のことなのだが、ここでは相当長い歴史的なパースペクティブをもって「移行期」が語られており、その不安感には共感できる。

筆者が拠って立つべき政治哲学として提示するのは「リーン」で「優しい」「リアリズム」である。

「リアリズム」だから、中国を牽制するための集団的自衛権は必要であり、政体は民主主義でない可能性がある、という。全体を読めば理解できるのだが、ここらの字面だけに反射的に噛み付く批判は少なくないだろうと想像される。

「リーン」とは「長期的で巨大な計画ではなく、機動力を生かして軽快に事業を進めていくような考え方(l.1787)」で、「アジャイル」と似ているが、ロケットの発射よりは自動車の運転に似て「目的地はわからないが、交通事故を起こさない」(l.1804)という。

「優しい」は、理路を突き詰めて付いて来られない者を切り捨てたりはしない、不安な気持ちを包摂する、というような意味である。不確定であることは辛いけれどもそこに踏みとどまって、「ものごとはたいていグレーであり、グレーであることをマネジメントすることが大切である(l.1866)」と考える。「両極端に目を奪われることなく、そのあいだの中間領域のグレーの部分を引き受けて、グレーをマネジメントすること。その際、人々の感情や不安、喜びを決して忘れないこと。これこそが優しいリアリズムである。正義を求めるのではなく、マネジメントによるバランスで情とリアルを求めることが、いま私たちの社会に求められている。(l.1894)」

リーンで優しいリアリズムという主張には共感するところが多いのだが、硬直した不寛容なファンタジーが支配的な今日の日本においては、道は遠いというのが実感だ。グレーに耐えられないからこそ、コストを度外視して極端なコンプライアンスを要求したりするのであるから。

それにしても目眩がするほどの離隔の大きさである。私の人生はこの移行期のうちに閉じるであろうが、その先につながる価値をいくらかでも生み出しておきたい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会文化環境
感想投稿日 : 2015年6月28日
読了日 : 2015年6月28日
本棚登録日 : 2015年6月28日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする