トーマス・ベルンハルトは、オーストリアの作家である。
オーストリアの作家といえば、シュテファン・ツヴァイクやエルフリーデ・イェリネクがすぐ浮かぶ。『マネジメント』のピーター・ドラッカーもそういえば、オーストリア生まれだった。
オーストリア生まれの執筆者は個性的な作品が多い印象がある。
ベルンハルトは、オランダ生まれ。両親はオーストリア人。幼少期に祖父の元に預けられ、オーストリアで育った。
トーマス・ベルンハルトは、劇作家の顔も持つ。国外での評価も高く、邦訳されている作品も数冊ある。
本書は私にとって、『ヴィトゲンシュタインの甥』に続くベルンハルト二冊目である。
本書の登場人物は少ない。作家であるアッツバッハー。
警官になりそこね、ウィーン美術史美術館に監視員として勤めるイルジーグラー。
三十年以上も前からタイムズに音楽哲学的小論文を書いているレーガー老人。
この小説の舞台になっているウィーン美術史美術館に、ボルドーネの間と呼ばれる部屋があるらしい。
そのボルドーネの間には、ティントレットの≪白ひげの男≫が展示されている。
本書の表紙になってる絵だ。
1570年頃の作品で白いひげの男性が誰なのか明らかではない。
襟口の刺繍と外衣の毛皮の縁取りからヴェネツィア共和国参事会の一員だと思われる。
この物語の主人公であるレーガー老人は、30年前から、1日おきにウィーン美術史美術館に通いつづけ、ボルドーネの間の長椅子に座り、ティントレットの≪白ひげの男≫を眺める。
午前中、美術館で過ごした後、ホテル・アンバサダーに行く。
アンバサダーにも定席があり、彼は隔日にそこに必ず現れる。
正しくは、≪白ひげの男≫の絵の前で、本を読んだり、思索に耽ったりする。
ウィーン美術史美術館に監視員として勤務するイルジーグラーは、レーガー老人を尊敬している。美術品に関して、または、思想、芸術に関してレーガー老人は、師のような存在になっていて、互いが信頼しあっている。
30年も同じ習慣を快適に持続することができたのは、イルジーグラーの配慮も大きい。
その隔日に美術館に通うという習慣を崩すことになったのが、作家、アッツバッハーと会うという約束であった。アッツバッハーは、待ち合わせの時間より早く来館し、イルジーグラーの話を聞きながら、レーガー老人の様子を伺う。
別に何が起こるというわけでもない。イルジーグラーが長年してきたように、レーガー老人の話を私たちも聞くことになる。
美術館にゴヤの絵が一枚もないことを嘆く。ハプスブルク家の美的センスを罵倒する。
ゲーテもカントもショーペンハウエルも全て読む必要はない。
この美術館に来るイタリア人は生まれながらに芸術に通じているような振る舞いを見せ、フランス人はつまらなそうに館内を歩き回り、イギリス人はこんなものはみな知っているんだという振る舞いを見せ、ロシア人はしきりに感心を示し、ポーランド人は何を眺めるのにも偉そうにしている。ドイツ人は本物よりも図録に興味を示し、ウィーンっ子は滅多にこの美術館に来ることはないそうだ。これらの記述はとても面白く、海外の美術館でも参考になるかもしれない。
ハイデガーは嫌悪され、ワーグナーは賞賛される。
太陽は嫌いで霧が好き。もう一枚の≪白ひげの男≫を持つという英国人の男の話、ウィーンのトイレ事情、ベートーヴェンの♪テンペストソナタに関する持論、政治家、国家への辛辣な批難。それこそ、テンペストのようだ。
妻の死は、運命ではなく、すべて誰かや機関の責任であると嘆く。嘆きまくる。
読んでいるうちに、30年もの間、隔日に同じ習慣を繰り返している老人の姿が、くっきりと浮かび上がってくる。彼には時間がたっぷりあるのだ。18度に保たれている美術館で午前中を過ごし、午後は23度に保たれているアンバサダーで過ごす。
黒い帽子をかぶったまま、彼は思索している。≪白ひげの男≫を見ているが、見ておらず、絵の背後を通り越しその外部さえ見ているようだ。この壁にかかっている絵は国家芸術家の絵以外の何ものでもないのだ。しかし、30年間眺めることに耐えられたのは≪白ひげの男≫だった。なんとも深いことではないか。
最後に、隔日の習慣を壊し、作家が呼ばれた理由が明かされる。82歳のレーガー老人が、その日にしたかったことは、レーガーにとって、突拍子もない倒錯した思いつきであり、それを分かち合うための勧誘のために、この長い序奏のような300ページが存在する。すごい(笑)
- 感想投稿日 : 2011年10月2日
- 読了日 : 2011年10月2日
- 本棚登録日 : 2011年10月1日
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