ちょっとネタバレになるんだけれど、書き残しておきます。知的生命の存在のレベルに「階梯」があると仮定して描き、知覚され得ないような、より高次の存在をとらえようと試みたのですね、小松左京は。小松左京的な「高次の存在の実在」を是とすると、偶然・虫の知らせ・セレンディピティなどの「たまたまなこと」に意味を付与できます。「たまたまなこと」が連続するとそれに意味を見出したくなる人っていて、答えを求めて妙な方面へ歩いて行っちゃうこともあります。だから、意味のないことにわざわざ意味を引きださないことって大切。だけど、小松左京は虚構の範囲内に、物語に包んだかたちで意味を引き出してみせた。「虚構の範囲内」という距離の取り方と、「物語に包む」という咀嚼とアレンジの仕方で、うまく料理しないと毒になるものを摂取可能にしたのだと思う。ただ、小松先生自身は、僕が思うに、「階梯」の概念は現実におそらく信じていたのではないかという気がする。それだけの見事さがあります。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
小説
- 感想投稿日 : 2020年8月15日
- 読了日 : 2020年6月19日
- 本棚登録日 : 2020年6月19日
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